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江川卓『空白の1日』とは一体なんだったのか…?情報を精査してみました。

元野球選手

この記事では江川卓選手に関わる「空白の一日」に何が起きたのか、江川事件を「事件前」「空白の1日」「事件後」で追っています。

江川卓選手と言えば「空白の1日」

野球ファンであれば、多くの人がこの言葉を知っていますよね。

しかしこの空白の1日を追ってみると今の世の中では考えられない、大きくて分かりやすすぎる陰謀が働いていました。

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江川卓の空白の1日に行き着くまでに2球団が指名していた

「空白の1日」

江川卓選手に関わるよく聞く野球界での一言です。

別名江川事件とも呼ばれるこの事件。

事件が起きたのは1978年11月21日のことで、2021年現在から換算し、43年前のことです。

 

「聞いたことがある」人は多いですが「内容まで知っている(覚えている)」という方は少なくなりつつあるでしょう。

改めて江川卓選手の「空白の1日」について調べてみると今ではとても考えられないような、裏ありまくり、事情ありまくりの事件でした。

結論から言うと、空白の1日とは巨人が意図的に認識違い(のふり)をして、江川卓選手の獲得に動いた日です。

 

江川卓選手は高校時代にノーヒットノーランを9回、完全試合を2回達成するなど、高校野球の記録を塗り替えまくった大スターでした。

その江川卓選手を獲得するためさまざまな球団がドラフトに向けて動きを見せますが、江川卓選手はそれらを退けます。

結局高校卒業後のドラフトでは阪急ブレーブスが交渉権を獲得しましたが、江川卓選手、江川家は大学進学を宣言します。

 

大学卒業後もまだまだ多くの球団がドラフトに向けて準備を進めクラウンライターライオンズ(現:西武)が交渉権を獲得しますが、江川卓選手はアメリカへ留学。

1年後アメリカから帰国しましたが交渉期限が切れる1978年11月21日、空白の1日事件が起きます。

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江川卓事件の空白の1日は強すぎる願望ゆえに生まれた

江川卓選手は「関東の球団に入団したい」と言っていました。

実際に、阪急やクラウンは関東の球団でなく、江川卓選手はそれらを拒否しています。

拒否している、というよりはもはや「自分の意見をがっつり通そう」としていました。

 

1978年のドラフト会議も、江川卓選手を獲得できるよう、それまでドラフトの対象であった

「日本の中学・高校・大学に在学している者」に「~在学した経験のある者」に変更します。

これはアメリカに野球浪人していた江川卓選手獲得のための変更と言っても過言ではありません。

 

また、交渉権は次のドラフト会議の「前々日」まで有効とされていました。

つまり1978年11月22日にドラフトが行われたので当時1977年に交渉権を獲得していた西武は、1978年11月20日に交渉権を失うということ。

結果11月20日深夜0時に交渉権は消滅します。

そして、ドラフト会議までの11月21日という「空白の1日」がやってきました。

 

先述したドラフトの対象選手の拡大は「次のドラフト会議当日から」という約束だったので「11月22日から」ということ。

とすると、11月21日は西武の交渉権もなくドラフト対象の選手でもない日、ということです。

が、しかしこの日に何と巨人が江川卓選手との交渉を行い、契約書のサインまで行っているのです。

 

巨人の「意図的な」解釈ではこの2点が重要です。

  • 交渉期間は終わっているのでこの一日は「どこが交渉しても良い日」
  • 22日から対象拡大ならば21日はドラフト対象外選手で、ドラフトでない入団をさせた

ということですね。

 

もはや「法の盲点」をついた巨人の解釈に「何が何でも江川卓選手を引き抜く」という気概を感じます。

これが空白の一日の正体です。

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江川卓の空白の1日は一応「なかった」ことになったが…

空白の1日に江川卓選手に契約書のサインをもらった巨人。

当然周りの球団が黙っていないですよね。

11球団やセ・パ両リーグの会長をはじめとして球界に関わるほぼすべての重要人物が契約の無効を主張します。

 

巨人はこれに対して22日のドラフト会議を欠席することを選択しました。

つまり空白の1日の交渉は「有効」だと、自身の身を切る形で訴えるわけですね。

巨人がいない中で行われた1978年ドラフト会議は阪神が江川卓選手に対する独占交渉権を獲得しました。

当然阪神からは球団代表やスカウトなど阪神の「超」重要人物たちが、江川卓選手の自宅を訪問しましたが、結局会えません。

 

一か月後、事態の収束を図るため当時コミッショナーの金子さんは「一時的に阪神に入団し、トレードすれば良い」としました。

しかし、まだ入団もしていない江川卓選手を選手として登録するのはお門違い。

阪神はこの「強い要望」を断りました。が、1979年1月に阪神がついに折れ、この要望を飲みます。

 

巨人はさっそく空白の1日で得られた契約を解除。

阪神は江川卓選手を獲得(した風)にし、巨人の小林選手とのトレードに応じました。

このまさに江川卓選手と巨人による見え見えの「陰謀」は、このような形で幕を閉じます。

もちろん当時これらの姿勢に対して巨人に対する批判だけでなく、要望に応じた阪神にも批判がでました。

それを覚悟で江川卓選手獲得に走った巨人が身を切る形で、最大の要望を叶えたということですかね。

 

空白の1日を含め、ここまで露骨に出た賛成はできませんが、江川卓選手と巨人の姿勢に、あっぱれです。

事件から40年以上経過した今だからこそ思えることですね。

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江川卓『空白の1日』とは一体なんだったのか…?情報を精査してみました。:まとめ

江川卓選手の空白の1日が起きる前段階までに、2球団がドラフトで江川卓選手の交渉権を獲得していましたが、江川卓選手は大学進学、アメリカ留学を選択して、指名から逃げていました。

江川卓選手の空白の1日とは、西武の交渉期限が切れる11月20日、ドラフトの対象が変わる11月22日の間の21日のことを言い、この日に巨人が秘密裏に江川卓選手と交渉を進めた日のことです。

江川卓選手の空白の1日後、球界全体を巻き込んで、巨人入団について批判が続出しましたが、結果として阪神が巨人とのトレードに応じ、江川卓選手は巨人に入団しました。

以上の内容でお送りしました。

 

江川卓選手の空白の1日を追うと、今の世の中で起きたらとんでもないことになるだろうな、と思えるものでした。

人々の批判の声が聞きやすい、現代ではこういった問題にかなり敏感に反応されるでしょう。

ある意味「昭和の日本」だからこそ、結果的に収まった(間に批判は大きくありましたが)のではないでしょうか。

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