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立浪和義の成績に思いをはせながら、山あり谷ありの野球人生を振り返ってみた。

元野球選手

この記事では、立浪和義選手の「打」や「守」の成績から、立浪和義選手がどのような選手であったのか分析しています。

 

立浪和義選手といえば

ミスタードラゴンズの選手です。

 

実は立浪和義選手は打撃タイトルを

「一つも獲得したことがない」のはご存じでしょうか。

 

一方、日本歴代最高記録の保持者でもあります。

もう訳が分かりません。それが立浪和義選手という一人の選手の魅力なのかもしれません。

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立浪和義の成績を一言で表すと「ミスター二塁打」

ミスタードラゴンズの一人として

中日の歴史に名を刻む選手に立浪和義選手がいます。

 

立浪和義といえば

勝負強いバッティングと華麗な守備で名をはせた選手。

 

プロ生活の22年間を

ドラゴンズのみで過ごし、現役引退まで戦い抜きました。

 

名球会会員に名を連ねるほどの成績も残しており

間違いなく日本プロ野球界をけん引し続けた選手であることには間違いありません。

 

しかし、その立浪和義選手。

打撃成績では、タイトルを獲得したことがないのはご存じでしょうか。

 

本塁打王、最多安打、打点王…

打撃成績はたくさんのタイトルがありますが、立浪和義選手はどれも受賞したことがありません。

 

むしろ名球会の中では

通算安打数ベスト10の成績の猛者の中では、通算本塁打数が最小の171本

 

また、通算安打数ベスト10に入っておきながらも

なんと最多安打や首位打者にもなったことがありません。

 

それはそれで不思議な話ではありますよね。

 

しかし、そんな立浪和義選手でも

「日本一」の成績を誇る打撃結果があります。

 

それが二塁打です。

立浪和義選手は「ミスター二塁打」と呼ばれた選手。

 

その立浪和義選手の二塁打の通算成績は487本。

これはなんとNPB歴代最高の成績です。

 

打撃タイトルを取っていなくても

日本歴代一位という成績を残していることには、驚愕です。

 

さらには、日本歴代一位の二塁打数を残しておきながら

なんとシーズン最多二塁打の成績を残したことはありません。

 

立浪和義選手は

つくづく不思議な成績の持ち主ですね。

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立浪和義の守備成績は抜群!打率が最低でも新人王だった?

立浪和義選手は

入団した1988年に新人王を獲得しています。

 

PL学園から中日に入団した立浪和義選手は

すぐに素質を見抜かれ、実践でスタメン出場を果たしました。

 

1年目のシーズンから

なんと高卒新人で開幕にスタメンで出場します。

 

このシーズンでは110試合に出場し

規定打席まで達しました。

 

その1年目の打率は.223。

これはなんとリーグ「最下位」の成績です。

 

しかし、立浪和義選手は新人王を獲得しています。

 

打率がこれだけ低いのに

なぜ新人王を獲得したかというと守備・走塁面での高評価があったからです。

 

1年目の盗塁成績は22盗塁で

さらに高卒新人初のゴールデングラブ賞を獲得しています。

 

これらを考慮され、リーグ最低打率ながらも新人王を獲得したわけです。

 

そもそも高卒新人で

スタメン規定打席まで到達することも珍しいことですよね。

 

また、プロ野球人生を通して経験した守備ポジションは

メインのセカンド、ショート、サード、レフトと守備位置に幅が広い選手でした。

 

ポジション別に分けると

ショート・セカンド・サードの3ポジションでゴールデングラブ賞を獲得しています。

 

この3ポジションでの獲得は

プロ野球歴代最高記録でもあります。

 

ベストナインは2回

ゴールデングラブ賞は通算5回経験しており、守備面の成績は通算で見ても素晴らしいです。

 

立浪和義選手というとどうしても「打」のイメージがありますが

成績のみで判断すると「守」の方が、評価される成績を残しているようにも感じますね。

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立浪和義は成績以上にファンからの信頼を得ていた選手だった

立浪和義選手は確かに安打数は

NPB記録のトップ10に入ります。

 

打撃タイトルは獲得してないにしても

この成績は素晴らしいことですし、守備でのタイトル数も同様です。

 

しかし、立浪和義選手という一人のプロ野球選手を見た時

成績以上に「一人の人間、選手としてファンからの信頼を得ていた」選手と言えるでしょう。

 

そもそも一つの球団に

一生を捧げるという時点で、そう簡単にできることではありません。

 

また、前述したようにタイトルは獲得していないのに

日本で最も二塁打を放った成績は、つまり、22年間安定して二塁打を放ち続けたということです。

 

一時期の成績に一喜一憂するより

ファンとしては安定した活躍をする方が、長く楽しめるというもの。

 

その点、一つの球団で

長く、安定した活躍を見せた立浪和義選手は、ドラゴンズファンの信頼を勝ち得ていました。

 

だからこそ、引退するときは

立浪和義選手の背番号「3」を永久欠番にするための署名運動が起きたのです。

 

現役時代も、代打での出場が多くなった後半。

ネクストバッターズサークルに、立浪和義選手が入るだけで大歓声が起こります。

 

そしてバッターサークルに入る直前には

アナウンスが聞こえないほどの立浪コール

 

まさにこれは成績以上に

ファンからの信頼を勝ち得た選手だと言えるでしょう。

 

色々なプロ野球人生があってしかるべきと思いますが

立浪和義選手のようなプロ野球人生を送れることは、一つの幸せであることは間違いないでしょう。

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立浪和義の成績に思いをはせながら、山あり谷ありの野球人生を振り返ってみた。:まとめ

立浪和義選手は、打撃タイトルを獲得したことがありませんが、日本歴代トップの通算二塁打の成績を誇っており「ミスター二塁打」と呼ばれています。

立浪和義選手は、高卒新人からリーグ最低打率でありながらも、守備と走塁の成績を評価され新人王を獲得しています。

立浪和義選手は成績以上にファンに愛された選手で、背番号3を永久欠番にするように署名運動がおこったほどです。

以上の内容でお送りしました。

個人的には立浪和義選手は、「打」の成績が素晴らしいイメージがありました。

しかし、今回このように調べてみて、守備面での成績が大きな選手でもあったのだ、と実感しました。

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