今回は、仰木彬さんに纏わる逸話…題して『仰木彬伝説』をお伝え致します。

イチローさんをはじめ多くのメジャーリーガーを輩出する等、その功績は未だに高く評価されています。

そんな仰木彬さんですが、あまり知られていない『伝説』とも言うべき逸話が6つ程ありました。

 

この記事をお読み頂くことで、

・仰木彬さんのプロフィール

・現役&監督時代に残した6つの伝説

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

この記事を見逃してしまうと、仰木彬さんの意外な一面を知る機会を失う事になるかもしれません・・・。

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仰木彬さんプロフィール

 

まずは、仰木彬さんのプロフィールをご覧いただきたいと思います。

2005年に70歳の若さで天国に旅立たれてしまいましたが、『名将・仰木監督』は多くの野球ファンの心の中に生き続けていると思います。

生年月日:1935年4月29日
出身地:福岡県中間市
身長 :170cm
血液型 :A型

所属球団(選手時代)
西鉄ライオンズ(1954~1967)

所属球団(監督・コーチ時代)
西鉄ライオンズ (1968~1969)
近鉄バファローズ (1970~1992)
オリックス・ブルーウェーブ、オリックス・バファローズ (1994 – 2001, 2005)

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仰木彬が残した6つの伝説

 

それでは、仰木彬さんが残した伝説を一つずつお伝え致します。

中には現役時代のエピソードもありますので、若いファンの方には「意外!」と感じるものもあると思います。

仰木彬伝説1:移動手段は…

プロ野球選手の車=高級車!というパターンが多いですよね。

ベンツにBMW、ジャガーにポルシェ・・・。

私たち庶民には到底手が届かない高級車ばかりです。

では、仰木彬さんはというと?


実は車を運転していなかったそうです。

主な移動手段はタクシーや電車だったとか。

あれだけ成功を納めた野球人であるにもかかわらず、これは意外な事実ですよね。

高級車に興味が無かったのでしょうか?

電車を利用して試合する球場へ向かう際、ファンから「仰木監督だ!」と声を掛けられることもしばしばあったそうです。

 

そりゃー当然ですよね、あれだけの有名人が電車に乗ってたとしたらwww

この『電車通勤』のイメージが強かったからか?1992年の近鉄系列路線のイメージキャラクターに抜擢されました。

『庶民派』とも言える仰木彬さんですから、イメージキャラクターにはピッタリですよね!

仰木彬伝説2:無数のスタメン

プロ野球のスタメンと言えば、ある程度固定されていることが普通です。

よく言われるのが『四番を固定し、四番を軸にオーダーを考える』といったところでしょうか。

ところが仰木彬さんは監督時代、この定説を覆す采配をしていました。

それは『スタメンをほぼ固定しない』というセオリーに無い采配。

 

あのイチロー選手がチームにいた時でさえ、ずっと1番を打っていた訳ではありませんでした。

昨日四番を打っていた選手が、今日は八番?

あれ?今日はあの選手試合に出てないよな?

・・・などなど、こういった奇抜と言える戦術は『仰木マジック』と呼ばれていました。

このようなやり方で敗けが込むようでは問題がありますが、この『仰木マジック』でチームを日本一へと導いたのですから、誰も文句は無かったでしょうね。

仰木彬伝説3:昔は結構な遊び人だった

現役時代の仰木彬さんは、「試合が終わるとハメを外していいだろう!」という考えの持ち主だったそうです。

監督時代の仰木彬さんを見ていたファンにとっては、あまり想像できない意外な部分だと思いますwww

それを証明する面白エピソードが一つ存在します。


西鉄ライオンズが島原でキャンプを行っていたときのことです。

キャンプ中であっても、『休日はハメを外すぞ!』と思った遊び人・仰木彬さん。

何と離島まで遊びに出掛けたそうです。

プロ野球のキャンプって相当ハードだと思うのですが、遊ぶ元気は有り余っていたのでしょうか?


・・・ところが、離島に行ったのがマズかった!

天候不良でその日は島原に帰ってこれませんでした。

翌日無事に島原キャンプに合流できたものの、当時の監督・三原脩さんの雷が落ちた模様。

罰として、長時間にかけてバント練習をやらされたそうです。

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