新井貴浩、阪神時代は「苦しかった…」阪神移籍理由は何だった?

阪神時代の新井貴浩さんは、自身で言うくらい「すごく苦しい」時代を送っていました。

傍目には、そのようなことは微塵も感じさせない愛されキャラでありながら、一方では真剣にチームのことを考える生真面目な性格だったのです。

阪神への移籍理由や、阪神時代にも常に古巣を見続けていた新井貴浩さんの内面を拾いながら、その経緯を紹介していきたいと思います。

 

この記事をお読み頂くことで、

・阪神時代の7年間を振り返ってみると…。

・阪神に移籍した理由は複雑なものだった。

・新井貴浩(別名、辛いさん)が誕生した会見について

 

等について知ることができます。

[char no=3 char=”野球犬”]ぜひ最後までお付き合い下さい![/char]

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新井貴浩にとって、阪神時代は「辛いさん」だった

2007年から2014年までの7年間、新井貴浩選手は、阪神タイガースの一員としてプレイしています。

 

広島カープのドラフト6位で入団し、不断の努力でスラッガーとして這い上がった新井貴浩選手。

FA権を取得した際には「僕はFA宣言できるような選手ではない」と謙遜しながらも、ずっと広島でプレイしたいことを暗示しています。

 

その新井貴浩選手がFA宣言をして阪神に移籍したのですから、ファンは驚き、批判する人たちもでてきます。

新井貴浩さんは、阪神に在籍した7年間について、このように語っています。

「はっきり言って、すごく苦しかった」。

このことは、電撃移籍のときの世間の冷たい目や、阪神時代の最後では、怪我の影響で出場機会が減り、自由契約を選んだことを語っています。

 

しかし、辛いことばかりではありませんでした。

「阪神の7年間がなければ、その後の自分はない。それほど大きく成長できた7年間だった」と語る新井選手。

野球人生の中で最高年棒の2億5000万円を獲得し、北京オリンピック日本代表に選抜されて4番を打っています。

また2011年には打点王を獲るなど、まさにバッターとしては最盛期の活躍をしているのです。

 

そして、なによりもチームを移籍したことにより、古巣の広島カープを別の視点から見ることができたことについても触れています。

「阪神は、カープとは全く違う世界、雰囲気だった」。

「阪神サイドからカープを見ることができた。だから広島カープの良さが再認識できた」。

他のチームにいながらも、決して広島カープから心が離れることはなかったようです。

 

このように、広島カープを愛してやまない新井さんが、「生涯広島」宣言を撤回してまでも、阪神に移籍した理由はなんだったのでしょうか?

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ではなぜ?新井貴浩が阪神に移籍した理由が…

新井貴浩さんが、阪神に移籍した理由については、いくつかの憶測があります。

2007年のオフ、新井貴浩選手は球団との残留交渉にあたって、一つの条件を出していたそうです。

それは、前田智徳選手をレギュラーから外すことであったといいます。

 

前田智徳外野手は、プロ野球史上、36人目2000本安打を達成するなどの活躍をした、広島の主軸の選手です。

ファンにも、他のプロ野球選手からも尊敬されている存在でありました。

それをレギュラーから外せというのですから、この条件を球団側は受け入れることはできません。

それでも新井貴浩選手は「僕をとるんですか、あの人をとるんですか?」と球団に詰め寄ったということですから、相当の決意の上での発言だったのでしょう。

 

では、新井貴浩さんは、なぜそのような主張をしたのでしょうか。

ひとつは、前田選手がチーム低迷の原因になっていると思っていたことが挙げられます。

前田選手は自身のバッティングが不振であると、周囲に当たり散らすような性格だったという噂もあります。

また、怪我をかばうあまり、走塁や守備に甘さが出るところが、あったようです。

常に全力を目指す新井選手の考え方からすると違和感があったのではないでしょうか。

 

もうひとつは、金本知憲選手と前田智徳選手の不仲説です。

このことは、広島ファンの間では周知のことであったようです。

金本選手を兄貴のように慕う新井貴浩選手が、金本選手が去ったあと、前田選手を優遇するような球団フロントに不信感を持つのも当然だったのではないでしょうか。

金本選手と一緒のチームでプレイしたいという心が勝ったのも、納得がいきます。

 

いずれにしても、この残留交渉は、あの涙のFA宣言直前まで行われていたようです。

交渉は平行線をたどり、新井貴浩選手は阪神移籍を決意したのです。

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