この記事では、新井貴浩さんの年棒推移を見ながら、プロ野球選手として歩んだ人生をお伝えしています。

年棒推移を、年収が多いか少ないかを表したグラフとしてだけ見るのでは、あまりにも勿体なさすぎます

たとえば、新井貴浩さんの年棒推移を見れば、どのような野球人生を歩んだのか見えてくるのです。

急激に上がった年もあれば、激減した年もあり、そこにはドラマが隠れています。

 

この記事をお読み頂くことで、

・下積みからスターへ、広島カープ時代の年俸

・阪神に移籍後・・・。

・最後に一花咲かせた結果!

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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新井貴浩、広島時代の年俸推移!

プロスポーツ選手にとって、年棒は自分の評価に直結する大切なものです。

特にプロ野球は、毎年の評価が数値として表されるのですから、年棒推移を見れば、その選手の野球人生が見えてくるのです。

 

新井貴浩さんは、1998年、22歳で広島カープに入団します。

契約金は3000万円です。

野村謙二郎さんの自宅に押しかけて、必死にスイングをアピールしたことや、ドラフト6位の順位からみれば、新井貴浩さんは、それほど期待されていたわけでもないといえるかもしれません。

 

必死になって努力を重ね、打者としての実績を出し始めると、徐々に出場機会を増やしていきます。

2002年には初めて規定打席数に達し、140試合で28本塁打と、好調さを見せます。

この年の年棒は1500万円から2200万円にアップしていますから、4番打者として期待されていた証になります。

 

ところが、その後2年は不振に苦しみ、年棒も減額してしまいます。

打撃フォームを修正し見事な復帰を果たしたのは、2005年のシーズンです。

本塁打43本で本塁打王に輝きます。

年棒も一気に8800万円まであがります。

 

2006年も好調が続き、最初の広島カープ時代最高の年棒である、1億2300万円まで到達します。

一生、広島カープ」宣言をしたのも納得ですね。

大好きなチームで結果を出し、評価も年棒もうなぎのぼりであり、なにもかもが順調に見えたのですが…

 

ここで、新井貴浩さんに試練が訪れることになります。

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涙の阪神移籍後…新井貴浩の年俸推移

新井貴浩選手は、2007年にFA権を行使し、阪神タイガースへ移籍します。

記者会見では「辛いです」「FAなんてなければよかった」という言葉とともに、涙まで流した移籍劇でした。

この移籍の理由は、「自分を試すために居心地のいいチームをあえて去る」というものでした。

しかし、真意は「兄貴」のように慕う金本知憲選手のいる阪神で一緒にプレーしたかったから、と後に語っています。

 

移籍後の年棒は2億円です。

年棒推移としては一気に上がりますが、広島ファンは「裏切った」と感じ、新井貴浩さんを責めます。

広島としても、大黒柱の4番打者が移籍してしまうことには大きなマイナスでした。

周りに与える影響を考えると、新井貴浩さんにとってこの決断は決死の覚悟であったと思われます。

 

阪神タイガースでは、金本選手と、後に同じチームに移籍してくる実弟の新井良太選手とともに躍進することになります。

年棒は2億円から2億5000万円と、自信の生涯最高年棒を獲得しています。

特に2010年は、打率、打点、そして盗塁数が自己ベストを記録。

2011年は打点王を取るなど、バッターとして最も脂がのった時期であったと言えるでしょう。

 

2012年以降は、腰痛と右肩の怪我に泣かされることになります。

出場機会が減り、2014年には活躍の場を求め、自由契約選手となります。

 

ここでまた、新井貴浩さんの運命を大きく変える出来事が起こります。

古巣・広島カープへの復帰です。

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