この記事では高校時代の斎藤佑樹選手の、甲子園での成績や球速(大学時代含む)を現代の様子と比較しています。
斎藤佑樹選手が無双を誇っていた高校・大学時代。
知っている人だからこそプロ転向後の様子に、疑問はつくものです。
一体、どこまで高校時代とプロ時代では違うのでしょうか。
目次
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斎藤佑樹の高校時代の輝かしい成績
あれから10数年経ったんですね。
全くそのような感じがしないのは、多くの人が感じているはずです。
それほどまでにインパクトの強い選手でした。
早稲田実業高校エース斎藤佑樹選手。
言わずと知れた2006年夏の大会の甲子園優勝投手。
当時のメディアには「ハンカチ王子」の名で知られ、メディアに登場しない日はありませんでした。
とにかく斎藤佑樹選手がいたころの、高校野球は盛り上がっていました。
まずは大阪桐蔭の中田翔選手。
超高校級スラッガーとして、高校野球雑誌『報知高校野球』で毎刊見かけたのを覚えています。
春の選抜大会では、関西高校のダース・ローマシュ匡選手との延長再試合もありました。
(実はこの経験が、夏の大会の活躍にもかなりつながっている)
さらに駒大苫小牧の田中将大選手。
圧倒的な球威とスライダーで、ばたばたと三振の山を築き、駒大苫小牧の黄金時代を作り上げていました。
それらの選手らが揃う夏の大会で早稲田実業は優勝を果たします。
高校時代の斎藤佑樹選手は世代最強だったかもしれません。
何といっても
延長再試合を一人で投げ抜く精神力とスタミナに、日本中が歓喜したものです。
それほどまでに大活躍を魅せた高校時代の成績がこちら。
- 夏の甲子園69回を投ずる
- 投球数は948球と歴代1位(まだこのころは投球数についてはあまり騒がれていなかった)
- 歴代2位の78奪三振
何といっても甲子園でマウンドに立ち続けた男です。
これほど野球人から見るとうらやましいことはありません。
とにかく、斎藤佑樹選手は逆境にも屈さず、センバツの延長再試合、夏での延長再試合でもマウンドに立ち続けました。
しかも歴代2位の奪三振ということは、球も超高校級だったことの証です。
先ほど説明した超高校級スラッガー中田翔選手からは、3三振を奪っています。
本当に、あの頃の甲子園を生で見ていた側からすると
「化け物」と感じるほどの実力の持ち主でした。
150km/h前後のストレートと、キレまくるスライダー、アウトコースぴしゃりのコントロール….
やはりそのすごさから
今でも高校時代の姿は目に焼き付いています。
それほどの大投手でした。
では、具体的に斎藤佑樹選手の球はどのようなものだったのでしょうか。
斎藤佑樹の高校時代の球速は…。
現在斎藤佑樹選手はどのような球を投げるのかというと、
ストレート系の変化球(ツーシームやカットボール)を中心に、フォークやチェンジアップを投げます。
そしてここで紹介したいストレート(プロ時点)は
平均で130km/h台です。
プロ野球選手の中には130km/h台でも十分活躍する選手はいます。
そういった人たちには、球速以外の武器(回転やキレ、ノビ)があるものです。
しかし、斎藤佑樹選手のストレートは
「そこまでのものはないかな」が正直な感想。
では、無双を誇っていた高校時代はというと…
MAX148km/h(大学時代は150km/h)
を誇っていました。
ここまであれば、他の変化球も今以上に生きるでしょう。
そして前述した抜群のコントロールもありました。
アウトコースギリギリに150km/hのストレートが来ると、打つのは厳しくなります。
当然いつもMAXのスピードが出るわけではありませんが
そこにスライダーやフォークなどが混ざるので、より緩急がつき、球速は速く感じられてしまうものです。
つまり高校時代の斎藤佑樹選手のストレートは、球速や球質が完璧でした。
しかし、大学時代の股関節のケガ。
さらにはプロ野球に入ってからの肩の故障。
度重なるケガをケアするためには
投球フォームの改善や、無理をしないピッチングスタイルが必要です。
結果的に球速が平均130km/h台まで低下してしまいます。
こうなれば、プロ野球選手にとってはかなり打ち頃の球速となるので、他の球種でごまかさなければいけません。
また、力勝負ができないので、コントロールも余計に気を遣います。
だからこそ、プロ野球入団以後はあまりピリッとしないのです。
→関連記事:斎藤佑樹の身長や体重について【他の選手と比較すると、ちょっと…】
斎藤佑樹選手がケガ無く
現在を迎えているとしたら、今以上の成績を残したことは間違いないでしょう。
高校時代の輝きを失った斎藤佑樹に対し、ネットの声は?
やはり斎藤佑樹選手の高校時代の活躍は、誰の目にも輝いて見えるものでした。
だからこそ、「あれ?今はどうしたの?」と気になる声がたくさん見られます。
ヤフー知恵袋にも似たような質問が寄せられています。
斎藤佑樹選手は高校時代の最高球速が150km/h以上で、スライダー、フォークを持っていたのに、なぜプロで活躍できないのか?
このような質問に対して
- 英才教育により高校時代で完成しきっていたため、伸びしろがなかった
- ケガが原因
- それまでちやほやされており、努力が足りなかった
- 大学進学が仇となった
といった回答がほとんどを占めていました。
伸びしろがなかったというのは、面白い着目点かもしれません。
あれだけ完成しきっていた大投手、しかし、プロではそこからもうひと伸びが必要な世界です。
その点において、もしかしたら努力が足りなかったかのかもしれません。
また、メディアが祭り上げていたので、天狗になっていたのかもしれません。
正直なところ
斎藤佑樹選手本人に聞かないと分からないところもあるだろうし、本人も分からないところの可能性もあります。
ただ、結果論であったとしても
高校時代よりはピッチングが見劣りしているのは間違いありません。
プロ野球選手として、長く野球をやるために
フォームの改造等により球速が落ちるのはよくあることです。
例えば当時花巻東高校の超エースだった菊池雄星投手なんかが良い例ですね。
だから、高校時代ほどのストレートは投げられないにしろ
球速を引き上げるポテンシャルはあったのです。
それができないのは、ケガが原因であるとも考えられます。
いろいろ考察してみて思うことは、回答で挙げられた理由が
複合的に作用しているのかもしれません。
どちらにしろ、これほどのポテンシャルは持っていた選手なので
今のまま何もなく、球界を去ってしまうのはあまりにもさみしいイメージがありますね。
斎藤佑樹の高校時代の成績や球速を見ると…昔は凄かったと感じてしまう件:まとめ
・斎藤佑樹選手の高校時代の成績は、歴代一位の投球数と歴代二位の奪三振数を誇るほどのものでした。
・斎藤佑樹選手の高校時代のMAXの球速は148km/h、大学時代ともなれば150km/hでした。しかしプロ転向後は130km/h台とかなりの落ち込みです。
・斎藤佑樹選手の高校時代の輝きに、「あれ?」と思っているファンも多いです。原因はいろいろなものが考えられそうです。
以上の内容でお送り致しました。
高校時代の斎藤佑樹選手を知っていれば、球速や成績が本人も納得いくものでないことはすぐに分かります。
ただ、その原因を今から突き止めても、後の祭りかもしれません。というか、すでに10年以上も前の話になってしまいます。
今は謙虚にただ、一生懸命にやろうとする斎藤佑樹選手を応援することしかできませんね。
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