イチローを語る上で、仰木監督とのエピソードは外せません。

かつて監督&選手という立場で共に戦い、オリックスの黄金時代を築いた両雄。

名称・仰木監督と、日本が世界に誇るヒットメーカー・イチロー。

この記事をお読みいただければ、二人にまつわる意外なエピソードについて知ることができると思います。

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稀代の名将・仰木監督

まず、イチロー選手にとって『師匠』とも言うべき存在である、仰木監督のプロフィールをご覧いただきたいと思います。

若い方にとっては『名監督』の印象が強いかと思いますが、現役時代も・・・。

仰木彬さんプロフィール

生年月日:1935年4月29日
出身地:福岡県中間市
身長 :170cm
血液型 :A型

所属球団(選手時代)
西鉄ライオンズ(1954~1967)

所属球団(監督・コーチ時代)
西鉄ライオンズ (1968~1969)
近鉄バファローズ (1970~1992)
オリックス・ブルーウェーブ、オリックス・バファローズ (1994 – 2001, 2005)

守備の名手から名監督へ

現役時代は埼玉西武ライオンズの前身である西鉄ライオンズ一筋14年。

ポジションはセカンドを守っていて、守備力には定評があったそうです。

バッティングではチームの繋ぎ役に徹し、三年連続の日本一へと導きました。

1960年にはベストナインに選出される活躍を見せ、翌年の1961にはオールスターに出場を果たしました。

現役を引退後は近鉄バッファローズで守備走塁コーチを担当、その経験を経てオリックス・ブルーウェーブの監督に就任しました。


以降、仰木監督のキャリアは輝かしいものとなっていきます。

オリックスを初のリーグ優勝、そして日本一へと導きました。

当時阪神淡路大震災で傷ついた地元、神戸の方々に勇気と希望を与えました。

『がんばろうKOBE』のキャッチフレーズを胸に、一丸となって勝ち取った日本一でした。


チームを優勝、日本一へと導いた実績だけでも十分凄いことではあります。

・・・が、仰木監督には『決して目立たないが驚異的な実績』があります。

それは、『1999年から11年連続でチームをAクラス入り』させたことです。

まさに安定した強さ。

一年だけ抜群に強く、他の年はちょっと・・・という訳ではありません。

優勝や日本一に比べると地味に感じてしまいがちですが、これも立派な実績ですよね。

人材育成も超一流

名将・仰木監督の特徴の一つとして『選手の育成が上手い』ことが挙げられます。

何と言っても、イチロー選手を世界一のヒットメーカーに育てたことは有名な話ですよね。

イチロー選手の他にも、仰木監督が育てた名選手は沢山います。

その代表として、日本人メジャーリーガーのパイオニア的存在・野茂英雄投手

また、イチロー選手と共にオリックスの黄金時代を築いた立役者で、後にメジャーリーグでも活躍した田口壮選手

野球ファンでなくても、その名を知る人は多いでしょう。

そんな野球界、いやスポーツ界を代表するトップアスリートを次々と世に輩出していました。

一般社会で言うと、仰木監督は『理想の上司』と呼べるのかもしれませんね。

そんな稀代の名将・仰木監督でしたが、70歳の若さで天に召されました。

 

二人の関係性

仰木監督とイチロー選手、二人の関係性を表現するのに『監督と選手』という言葉だけでは物足りなさを感じてしまいます。

ふさわしい言葉を言わせていただくならば、『師弟関係』でしょうか?

仰木監督の存在無くして、イチロー選手の活躍はなかったのでは?と言っても決して大袈裟な表現ではないかと思います。

 

 

仰木監督は、彼以外の監督には存在しない、ある特殊能力を身に付けていました。

ある特殊能力とは?

それは『人心掌握術』

この能力こそ、名将&人材育成の達人に成り得た秘訣なのだと思います。

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イチロー&仰木監督のエピソード

仰木監督が人心掌握術を身に付けてたからこそ?とも言えるエピソード等が幾つか存在します。

深い絆で結ばれた、二人のエピソードをお伝え致します。

登録名『イチロー』

まだイチロー選手が無名だった頃、選手登録名は『鈴木一郎』でした。

当時の彼は、上層部からの受けは良くなかったそうです。

その理由は『人の言うことを聞ず、使いづらい』とのことでした。

そんな当時、仰木監督はプライベートで食事に誘い、鈴木一郎選手にこのように話します。


「呼び名をイチローに変えた方がいい。その方が親しまれやすい」


頑固な性格だった鈴木一郎選手でしたが、この提案を即座に受け入れます。

なぜ仰木監督の提案を素直に聞いて、『イチロー』としたのか?

その理由は『親身になって接してくれた仰木監督を信頼し、尊敬したから』だそうです。

イチローの素質を見いだし、どうすれば素直な性格へと変貌してくれるか?

仰木監督の出した答えは『選手の信頼を得る』ことだったようですね。

イチローの信頼を得たことで、二人の師弟関係は始まったと言ってもいいと思います。

イチロー、仰木監督の前では気が抜けず

『天下のイチロー』とも言われる存在となって以降も、師匠・仰木監督の前では「気が抜けないよ」と言っていました。

以下の言葉は、実際にイチロー選手が自らの口で発したものです。

「どんな人間かを察知する能力が確実にあって、それに応じて選手を操る。」

「仰木監督は心のつかみ方の型を無数にあるように見えた。それがマジックなのかもしれない。」

『仰木マジック』と呼ばれてた独自の采配は、選手育成の場でも使われていた『魔法』だったみたいですね。

あのイチロー選手ですら頭が上がらないとは・・・仰木彬という人物の偉大さを改めて感じます。

メジャー通算3000本安打を達成時

MLB史上30人目の偉業・通算3000本安打を達成した2016年シーズン。

この時の会見で、イチロー選手が真っ先に挙げた名前は、師匠・仰木監督でした。

「3000(安打目)を打ってから思い出したことは、このきっかけをつくってくれた仰木監督ですね。神戸で2000年の秋に、これはお酒の力を借りてですね、僕が口説いたんですけど、その仰木さんの決断がなければ、なにも始まらなかった。そのことが頭に浮かびました」。

イチロー選手がメジャー挑戦できたのは、当時監督を勤めていた仰木彬さんの理解があったからこそ。

もし仰木監督がポスティングシステムでのメジャー挑戦を容認していなかったとしたら?

以降メジャーの舞台で達成される数々の偉業は、夢物語で終わっていたのかもしれません。

師匠の理解、そして弟子の確かな実力、両方があったからこそ、全世界に衝撃を与える活躍をしてくれたのだと思います!

※初の3000本安打達成は↓↓↓※

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まとめ

イチロー選手と仰木監督のエピソードを知り、二人の師弟関係の素晴らしさを感じとることができました。

イチロー選手にとって言わば『最高の上司』に巡り会うことができ、また仰木監督からしても『最高の部下』を持つことができたと言えるでしょう。

もし二人が出会わなかったら?

同じ環境で野球をやっていなかったら?

『縁』とは本当に大切ですよね。

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