この記事では、清原和博さんと野村克也さんの関係についてお伝えしています。

2020年2月11日、野村克也さんが惜しくも旅立たれました。

野球という仕事をすべて知り尽くし、「知力」で勝負するスポーツへと変革を促した偉大な人物だったと思います。

野村克也さんは、選手に対してもその確かな眼力で批評することを常としていました。

スター選手だった清原和博さんに対しても、期待と批判を語っています。

 

この記事をお読み頂くことで、

・清原和博さんは、大先輩である野村克也さんを尊敬していた

・野村克也さんも、清原和博さんに強い期待を抱いていた

・あるとき、清原和博さんの『弱点』を語る野村克也さんが…

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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清原和博、野村克也への特別な想いが…

意外と思われるかもしれませんが、清原和博さんは、野村克也さんに最高に近いリスペクトを持っていました。

野村克也さんがPL学園時代の清原和博さんを見たときから、「自分のホームラン記録を抜く男だ」と最大級の賛辞を送っています。

ちなみに、野村克也さんの通算ホームラン記録は、歴代2位の657本です!

その偉大な先輩から太鼓判を押された清原和博さんは、当時から相当期待されていた逸材でした。

甲子園に5回出場し、ホームラン13本を打った成績は、日本一、世界一のバッターになる素質を備えていたと言えるのです。

 

清原和博さんがプロ入りした後、野村克也監督のもとで試合をすることはありませんでしたが、野村克也さんは清原選手に相変わらず期待の言葉を送り、気にかけていました。

そして清原選手も、野村克也を尊敬していたのです。

野村克也さんの悲報についてコメントした際も「野村監督のもとで野球をしてみたかった」と語っています。

 

また、そのことは清原選手が愛用したヘルメットについても見て取れのです。

西武に入団後、清原選手の頭のサイズにあるヘルメットが無いので、用具係が、野村克也さんが最後に使っていたヘルメットを出してきました

清原選手は、偉大な先輩にあやかるように、そのヘルメットを大事に使います。

球団が変わっても、色を塗りなおして使ったというから、その愛着ぶりは相当なものであったと思います。

「野村克也さんと一緒にバッターボックスに入っているように思えて、勇気が湧いてくる」と語っています。

直接の関係はあまりなかったものの、偉大な先輩と素質のある後輩という形で交流が続いていたと言えるのです。

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野村克也は、清原和博に大きく期待していた

PL学園のころから、野村克也さんは清原和博さんの野球選手としての素質には注目していました。

これは清原選手がプロに入ってからも同じで、「自分のホームラン記録を抜く選手」として目をかけていたのです。

野村克也さんは多彩な才能の持ち主で、多くの野球関係の著作を残していますが、その中の『プロ野球怪物列伝』では、清原選手についての記載もあります。

清原選手がプロ入り1年目に、打率.304、打点78、本塁打31を記録して新人王を獲得したときには、「王貞治選手さえも抜くかもしれない」と思ったといいます。

たしかに、ルーキーイヤーでここまで活躍していれば、スーパースターの素質があることに確信が持てたと思います。

しかし、結果から言えば、清原和博選手が獲得したタイトルは、新人王だけであり、「無冠の帝王」と呼ばれました。

本来、これだけの素質を持っていればレジェンドになれるはずだったのに、それを生かしきれなかった理由はなんだったのでしょうか?

 

野村克也さんは「あまりに素質がずば抜けていた」ことを挙げています。

甲子園と西武球団で、あまりに活躍し続けてしまったことで、無意識に、素質だけでも通用すると考えてしまっていた、ということです。

ルーキーイヤーで、プロの洗礼を受けて挫折経験を味わっていたら、もっと偉大な記録を打ち立てる選手になっていたかもしれません。

 

なんとも皮肉な話ですが、逆に考えると素質だけであれだけの華やかな活躍を続けてきた清原選手は、まさに「怪物」だっと思います。

そして、ファンはそのような「怪物」に出現に注目し、憧れるものなのです。

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