この記事では、清原和博さんと野村克也さんの関係についてお伝えしています。
2020年2月11日、野村克也さんが惜しくも旅立たれました。
野球という仕事をすべて知り尽くし、「知力」で勝負するスポーツへと変革を促した偉大な人物だったと思います。
野村克也さんは、選手に対してもその確かな眼力で批評することを常としていました。
スター選手だった清原和博さんに対しても、期待と批判を語っています。
この記事をお読み頂くことで、
・清原和博さんは、大先輩である野村克也さんを尊敬していた
・野村克也さんも、清原和博さんに強い期待を抱いていた
・あるとき、清原和博さんの『弱点』を語る野村克也さんが…
等について知ることができます。
目次
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清原和博、野村克也への特別な想いが…
清原和博 私の記録を抜くはずだった男 – 野村克也 – 幻冬舎plus https://t.co/yCjP5kGTu6 pic.twitter.com/S8W1sMcU3Q
— ネット記事リーダー (@netkijireader) November 8, 2019
意外と思われるかもしれませんが、清原和博さんは、野村克也さんに最高に近いリスペクトを持っていました。
野村克也さんがPL学園時代の清原和博さんを見たときから、「自分のホームラン記録を抜く男だ」と最大級の賛辞を送っています。
ちなみに、野村克也さんの通算ホームラン記録は、歴代2位の657本です!
その偉大な先輩から太鼓判を押された清原和博さんは、当時から相当期待されていた逸材でした。
甲子園に5回出場し、ホームラン13本を打った成績は、日本一、世界一のバッターになる素質を備えていたと言えるのです。
清原和博さんがプロ入りした後、野村克也監督のもとで試合をすることはありませんでしたが、野村克也さんは清原選手に相変わらず期待の言葉を送り、気にかけていました。
そして清原選手も、野村克也を尊敬していたのです。
野村克也さんの悲報についてコメントした際も「野村監督のもとで野球をしてみたかった」と語っています。
また、そのことは清原選手が愛用したヘルメットについても見て取れのです。
西武に入団後、清原選手の頭のサイズにあるヘルメットが無いので、用具係が、野村克也さんが最後に使っていたヘルメットを出してきました。
清原選手は、偉大な先輩にあやかるように、そのヘルメットを大事に使います。
球団が変わっても、色を塗りなおして使ったというから、その愛着ぶりは相当なものであったと思います。
「野村克也さんと一緒にバッターボックスに入っているように思えて、勇気が湧いてくる」と語っています。
直接の関係はあまりなかったものの、偉大な先輩と素質のある後輩という形で交流が続いていたと言えるのです。
野村克也は、清原和博に大きく期待していた
PL学園のころから、野村克也さんは清原和博さんの野球選手としての素質には注目していました。
これは清原選手がプロに入ってからも同じで、「自分のホームラン記録を抜く選手」として目をかけていたのです。
野村克也さんは多彩な才能の持ち主で、多くの野球関係の著作を残していますが、その中の『プロ野球怪物列伝』では、清原選手についての記載もあります。
清原選手がプロ入り1年目に、打率.304、打点78、本塁打31を記録して新人王を獲得したときには、「王貞治選手さえも抜くかもしれない」と思ったといいます。
たしかに、ルーキーイヤーでここまで活躍していれば、スーパースターの素質があることに確信が持てたと思います。
しかし、結果から言えば、清原和博選手が獲得したタイトルは、新人王だけであり、「無冠の帝王」と呼ばれました。
本来、これだけの素質を持っていればレジェンドになれるはずだったのに、それを生かしきれなかった理由はなんだったのでしょうか?
野村克也さんは「あまりに素質がずば抜けていた」ことを挙げています。
甲子園と西武球団で、あまりに活躍し続けてしまったことで、無意識に、素質だけでも通用すると考えてしまっていた、ということです。
ルーキーイヤーで、プロの洗礼を受けて挫折経験を味わっていたら、もっと偉大な記録を打ち立てる選手になっていたかもしれません。
なんとも皮肉な話ですが、逆に考えると素質だけであれだけの華やかな活躍を続けてきた清原選手は、まさに「怪物」だっと思います。
そして、ファンはそのような「怪物」に出現に注目し、憧れるものなのです。
野村克也さんが語る、清原和博の弱点。それは「苦労」が…
結果として、清原和博選手には努力が足りなかったのでしょうか?
清原選手のファンは、決してそんなことは思わないでしょう。
下半身の怪我を克服するために、手術とリハビリを繰り返し、バッティングのフォームも変え、努力を続けていたからこそ、複数の球団を渡りあるいても常に打撃の主軸を任されていたと言えるからです。
しかし、野村克也さんの冷静な観察眼からすると、その努力はすこし違う角度から見えてきます。
あまりに「天性」に恵まれてしまった清原和博選手は、頭で考えるということを軽んじていたと分析しています。
たとえば、ピッチャーが清原選手を打ち取ろうと思えば、ストレートは見せ球にして、変化球を決め球にします。
これは、ピッチャーがきっちりと清原選手を研究していたからです。
しかし、清原選手は得意のストレートを待ち続け、結局、カウントが苦しくなると変化球に手を出してヒットを逃してしまうというのです。
頭で考えれば、相手のピッチャーが自分に対してどのような配球をしてくるか想像できるので、変化球を打つ練習をします。
野球というものをもっと深く学び、苦労して知力と知力の勝負でも勝つような努力が必要だったと回想しています。
→関連記事: 清原和博がトライアウトの監督を務めた件を紐解く【なぜ監督就任に至った?】
これらのことは、「力と力の勝負」を好まなかった野村克也さん一流の見方でしょう。
もし、清原選手が知力を磨くということをもっと意識していたら、タイトルを獲りまくり、伝説となっていたかもしれません。
しかし、ファンは力いっぱいスイングする清原選手も愛していましたし、怪我に耐えバッターボックスに立つ姿を応援していました。
そうでなければ、「無冠の帝王」の存在は、簡単に忘れられてしまっていたかもしれません。
成績がそのまま人気につながるわけではない、ということを教えてくれるのです。
清原和博、野村克也への思いを語る。ノムさんから見た打者・清原は…:まとめ
・清原和博選手は、野村克也さんを尊敬していて、野村さんのヘルメットを使い続けるほどだった。
・野村克也さんは、清原和博さんの素質を高く評価し、「自分のホームラン記録を抜く男」と語っていた。
・清原和博さんは、野村克也さんから見ると天性の素質のみで勝負しているように思えていた。
以上の内容でお送り致しました。
野村克也さんのシニカルでかつ的確な批判は、少なからず現代のプロ野球を形作るものであったでしょう。
ID野球を導入し、力と力で単純に決まるような勝負を嫌った野村克也さんは、近代野球の先駆けであったと言えます。
もし清原和博さんが、野村克也監督の指導を本格的に受けていたら、というのは魅力的な想像ものですね。
歴代の打撃記録が塗り替えられていたかも、なんてことを考えてしてしまいます。
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