清原和博さんといえば、西武と巨人の4番打者として、クリーンナップの中心的存在として活躍していました。

事実、ホームラン数では、歴代のプロ野球記録の上位にランキングされています

しかし、なぜかタイトルとは縁がなく、「無冠の帝王」でもありました。

なぜ清原和博さんほどの逸材が、ホームラン王になれなかったのか、ご紹介していきたいと思います。

 

この記事をお読み頂くことで、

・通算ホームラン数が凄すぎる…!

・【無冠の帝王】となってしまった理由

・これぞ清原和博!という記録があった!

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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清原和博の通算ホームラン数!

清原和博さんの通算ホームラン数は、525本で、歴代5位にランキングされています!

1位の王貞治さんが、868本とずば抜けていますが、2位の野村克也さんが657本、3位の門田博光さんが567本ですから、清原和博さんのこの記録はすごいことなのです。

 

ちなみに、プロ野球歴代で、生涯500本塁打を達成した打者は、清原和博さんを含めて8人しかいません。

いかに清原和博さんの長打力が素晴らしかったかが分かると思います。

また、打点1530は歴代6位ですし、安打数も2000本を超えています。

長打率も5割越えです。

 

しかも新人時代からバットコントロールがうまく、左右、中央と打ち分けられる技術ももっていました。

数字から見ても、いつでも本塁打王や打点王に輝いておかしくない存在でした。

実際、タイトルに手が届く位置にいることも多かったのです。

たとえば、1990年、西武の黄金時代の4番打者をつとめていた時の打率は.307です。

この年は、パリーグ個人打撃成績の4位まで食い込んでいます。

本人も周りも、運が向けばいつでもタイトルは獲れる、という思いだったのかもしれませんね。

 

惜しむらくは、やはり打率が3割に届くことが少なかったことでしょうか。

選球眼が優れていたため、四球が多いのが目立ちます。

また思い切ってバットを振るため、三振も多かったのです。

確かな選球眼を持っていて、なによりもバットに当たれば長打になるという、4番打者らしい活躍がこの本塁打記録から読み取れるのではないかと思います。

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清原和博がホームラン王に無縁だった理由は?

それほどまでに打撃センスが優れていた清原和博さんが、なぜタイトルを獲れず「無冠の帝王」に終わったのでしょうか

大きく、3つの理由が挙げられます。

 

まず1つめとして、西武時代の森祇晶監督の方針による、という点です。

チームが勝ちに行くときには、たとえその打順が清原和博さんのようなスラッガーであっても、犠牲フライを指示されることはあります。

選球眼がよく、優れたバッティングコントロールを持っていた清原和博選手だからからこそ、必要なときには監督から冷徹なサインが出ることはあったのでしょう。

そして、清原選手も、個人の成績よりチームの勝利のほうに大きを置いていたといわれます。

器用でもあり、そしてチームを思う心が人一倍強いために、皮肉なことに便利に使われてしまったということもいえるのではないでしょうか。。

 

2つめの理由としては、清原和博さんの素質が、新人のころからあまりにずば抜けていたために努力をしなかったことがあります。

もちろん、全く努力をしないプロの選手はいません。

しかし天性のバッティングセンスのままに活躍をし続けられてしまった清原選手は、変化球などに対応する努力を怠ってしまったというものです。

このことについては、先日亡くなった野村克也さんが自著で述べられていることでもあります。

本来、清原選手は、三冠王に輝いて、ホームラン王になってもおかしくない逸材だと見抜いていた野村克也さんは、「自分のホームラン記録を抜く逸材」と最大級の賛辞を送っていました。

しかし、ついに無冠のまま終わってしまったことを惜しんでもいるのです。

 

理由の3つめとしては、つねに怪我を抱えていた影響があったことが挙げられます。。

パワーを出すために上半身を鍛えまくった清原和博選手ですが、下半身の強化はあまりうまくいかず、結局は左膝の怪我に泣かされることになりました。

プロのアスリートであれば、どうしても怪我は付き物ですが、そのケアやコントロールがもう少しうまくいっていれば、もっと活躍できたのではないか、とも思えます。

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