清原和博の西武時代を振り返ってみた【黄金期にも程がある!】

清原和博
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この記事では、西武時代の清原和博さんの活躍ぶりをお伝えしています。

清原和博さんの22年の現役時代のなかで、ファンが最も覚えているのは、やはり西武時代の若武者ぶりではないでしょうか。

ルーキーイヤーから活躍し、西武の不動の4番打者として華々しく活躍した時代。

そして、なによりも野球を楽しんでいることが分かる清原和博さんを、ファンは愛しました。

 

この記事をお読み頂くことで

・新人・清原和博の、新人らしからぬ活躍ぶり

・清原和博さんに訪れた「運命のいたずら」

・最強のクリーンナップトリオ「AKD砲」

等について知ることができます。

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清原和博の西武時代は、一年目から凄かった!

打率.304、打点78、本塁打31。

1986年、清原和博選手のルーキーイヤーの成績です。

この年の、パ・リーグ打撃部門で8位の成績です。

清原選手の西武時代を振り返ると、すでに一年目から大活躍していたと言えるでしょう。

甲子園で活躍した実績を生かし、ルーキーにしてすでにスター選手という風格を備えていました。

清原和博選手は、入団した年から西武の4番に抜擢され、クリーンナップの中核として活躍しました。

新人にも関わらず、オールスターでは得票一位で選抜されています。

 

この年、西武はリーグ優勝を果たし、日本シリーズでは広島との激闘を制して、日本一に輝きました。

日本シリーズでは清原選手も本塁打を放ち、またシリーズ首位打者としてチームの勝利に貢献しています。

高卒新人選手の記録を数々と塗り替えた清原和博選手は、この年、新人王を獲得しています

野球ファンの人気はとにかくずば抜けていました。

入団時のドラマティックな展開が、いっそう清原選手ブームの追い風になっていたのではないでしょうか。

 

しかし、人気だけでは、このルーキーイヤーの成績は説明できません。

清原選手は、その強靭な肉体から放たれるスイングスピードと、選球眼が優れていました。

そしてなによりも、のびのびと野球をすることで、自分の良いところを出そうとしていたことが結果につながったのでしょう。

そんなことを考えると、西武以外の球団に入っていたらどうなっていたのか、とても興味がありますよね。

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西武に決まったその時、清原和博は…。

清原和博さんの名前を、ファンならずとも知らしめたのが、1985年のドラフト会議でのことです。

 

清原和博さんが入学したPL学園は、甲子園で大活躍をします。

3年間で甲子園に5回出場し、優勝2回、準優勝2回、ベストフォー1回という成績を残しています。

もちろん、清原和博さんだけのワンマンチームというわけではありませんでした。

KKコンビのもう一人のK,桑田真澄投手が同期にいたから、とも言えます。

甲子園で、桑田真澄投手は20勝をあげ、清原和博選手は13本のホームランを放っています。

このコンビが揃っていたのですから、PL学園は強かったわけですよね。

 

甲子園での実績をひっさげて、清原和博さんは高校卒業と同時にプロ野球入りを目指します。

入団希望先は、セ・リーグの球団であり、自身がファンであった巨人が一位希望でした。

また、清原和博さんのお父さんは阪神ファンであり、その影響もあって地元大阪のチームである阪神への入団も視野に入れていました。

この両球団から交渉があれば、清原和博さんは喜んで入団していたでしょう。

 

しかし、1985年のドラフト会議では、清原選手が憧れた巨人は、桑田投手を単独1位指名することに踏み切りました。

結局、清原選手には、他6球団からの1位指名があり、抽選で交渉権を得た西武に入団することになります

憧れの巨人に指名されなかったことで、清原和博さんは会見で涙を流しました

このKKドラフト事件では、清原和博さんへの同情的意見が多く、当時を知っている多くの人が今も強烈に印象に残った出来事だったと思います。

しかし、結果として西武に入団した清原和博さんは、一年目からまさに黄金時代と呼ぶべき活躍を見せることになりました。

清原和博の西武時代と言えば「AKD砲」

西武ファンには、黄金期に忘れられないものがあります。

そう、清原和博選手が西武時代にその主軸を担った、「AKD砲」です!

AKD砲とは、1990年から1992年にかけての、西武のクリーンナップだった、秋山選手、清原選手、デストラーデ選手の頭文字から名付けられた最強打線です。

AKD砲がどれだけすごかったかというと、

  • 1990年は、本塁打114、得点291
  • 1991年は、本塁打97、得点259
  • 1992年は、本塁打108、得点272

という破壊力です。

 

特に記憶に残るのは、1990年の西武の強さでしょう。

この年、西武は2位オリックスに12ゲーム差をつけてリーグ優勝しています。

その得点のうち、約半分をAKD砲が稼ぎ出すという、とんでもないものでした。

秋山選手は本塁打35本、51盗塁を決めています。

デストラーデ選手は本塁打と打点で二冠王に輝いているのです。

そして、清原選手は不動の4番として、打率・307、37本塁打と絶好調でした。

 

このAKD砲は、1990年の日本シリーズでも炸裂し、4-0で巨人を下して日本一に輝いています。

巨人ファンは、この年の日本シリーズ4連敗をいまでもトラウマとして語っているといいます。

1993年には惜しくもデストラーデ選手の移籍でAKD砲は解散しましたが、黄金時代を築き上げたというにふさわしい強力打線だったといえるでしょう。

清原和博の西武時代を振り返ってみた【黄金期にも程がある!】:まとめ

・清原和博選手は、西武時代のルーキーイヤーから大活躍し、新人王に輝いている。

・清原和博さんは巨人に入団希望だったが、ドラフト会議での結果、西武に入団することになった。涙ながらに会見に臨む姿がファンの心を打った。

・西武時代の清原和博選手が主軸を担った「AKD砲」は、今でも西武ファンには黄金時代として語り継がれている。

以上の内容でお送り致しました。

 

憧れの巨人に入団できずに、会見で涙を隠さなかった清原和博さんは、まだ高校生だったのであたりまえの姿をさらしただけです。

しかし、その純粋な涙は、清原和博選手のファンを沢山つくりました。

ルーキーイヤーから華々しく活躍し、その後も怪我と戦いながら野球を続けられたのも、野球ファンが「あの日」を覚えていて後押ししたから、とも言えます。

人生のドラマの不思議さを感じますよね。

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