清原和博選手は、1996年のオフにFAで巨人に入団しています。

巨人時代の清原和博さんにとって、憧れの球団でプレーできることこそが、最上の喜びでありました

そんな清原和博さんの、巨人時代の活躍ぶりと、そこで経験した、ちょっと珍しいプレーについて、ご紹介したいと思います。

 

この記事をお読み頂くことで、

・プロ野球界の「ど真ん中」にいた巨人時代について

・スッテンコロリン…恥ずかしいホームラン笑

・生まれてはじめての騙し被害にwww

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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清原和博の巨人時代をプレイバック

1996年のオフ、清原和博さんがFA権を行使して入団したのが、あの憧れの巨人でした。

10年前のドラフトで指名されずに涙をながした巨人ですが、こんどそその夢をを実現したのでした。

長嶋茂雄監督の「僕の胸に飛び込んできなさい」と言われ、巨人のユニフォームを着ることになりました。

契約金は、3億6000万円。西武であれだけの実績を叩き出したスラッガーとしては、当然の金額ですね。

 

巨人入団1年目、1997年は、打率.249、本塁打32、打点95と、さすがは清原選手という成績です。

しかし、チームの成績は低迷し、清原和博選手は初のBクラス入りを経験します。

 

個人の成績よりも、チームの勝利にこだわる清原選手は、バッティングフォームを変えてまでの意気込みで翌年のシーズンに挑みます。

1998年、清原和博選手は、本塁打、打点は昨年を超えることはできませんでしたが、打率.268をマークし三振数を抑えることに成功しました。

巨人は3位で終わり、Aクラスに復帰することができました。

 

このころから清原和博選手は下半身の故障で悩まされ、規定打席に達することが難しくなり、成績も伸び悩んでいます。

 

ところが、5年契約の最終年度の2001年のシーズンでは、怪我の経過も良好で、その調子の良さは打撃成績に結びつきます。

打率.298と、本塁打29、打点は121に達し、チームもリーグ2位と好調さを見せつけました。

 

巨人との契約更新は成立したものの、やはりその後は怪我の経過がよろしくなく、結果、2005年オフに戦力外通知を受けています。

つねに怪我との闘いがあったとはいえ、松井選手との「MK砲」や、高橋由伸選手との「KT砲」など、巨人時代を華やかに活躍し続けました。

巨人時代の清原和博選手は、栄光と挫折を十分に味わった時代だったと言えるでしょう。

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清原和博、巨人時代に放った「恥ずかしい」ホームランwww

清原和博さんが、「一番恥ずかしかった」という思い出のホームランがあります。

巨人時代の最後の年、2005年に放ったホームランですが、思いもかけない珍プレーとなってしまいました。

 

5月7日の楽天戦、一場投手が投げたカーブを左翼スタンドへと打ち込みます。

打った時点ではホームランかどうか分からなかった清原選手は、全力で走ります。

そして、一塁を回ったところで、足が滑って転んでしまいます!背中から地面に一回転するほどの大転倒

一瞬なにがなにやらわからず目をパチパチさせていたが清原選手でしたが、すぐに慌てて起き上がると、打球を探します。

そして、審判やベンチから、ホームランだったことを教えてもらうと、「入ったの?」と聞きなおして、ダイヤモンドを一周しました。

 

観客席からは大爆笑、そして本人も苦笑いしながらのホームランで、「あれは恥ずかしかった」と思い返しています。

この試合は、巨人が大差をつけて勝利しています。

結果よければすべて良し、ということで、清原選手の「活躍」ぶりも無駄にならずに済んだのでした。

 

転んでも華になるのですから、スター選手というのは得ですよね。

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