長嶋茂雄選手は、1974年に現役選手を引退しました。

その引退日をいつにするかは、実は本人の強い希望から決まったのです。

なぜそのように、引退日にこだわったのでしょうか?

また、その伝説的な引退スピーチはどのようにファンに影響を与えたか、ご紹介していきたいと思います。

 

この記事をお読み頂くことで、

・ミスタープロ野球・長嶋茂雄の引退日について

・ファンは涙腺崩壊…の引退スピーチ

・なぜミスターは引退を決断したのか?

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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日本中の注目を集めた、長嶋茂雄の引退日

どんなに光り輝く星であっても、いつかは水平線のかなたに沈む時がやってきます。

長嶋茂雄さんの引退日について、プロ野球ファンのみならず、日本国民のすべてがそのようなパセティックな感情に捉えられたのではないでしょうか。

 

1974年のシーズン、38歳の長嶋選手は、打率3割を切り不振にあえいでいました。

前年のシーズンでも、打率.269、本塁打20本という成績で、川上監督からも引退を勧告されていましたがそれを拒否しての現役続行だったので、いよいよ引退の2文字が頭をよぎっていました。

7月22日のオールスター戦後、長嶋選手はついに引退の決意を川上監督に伝えます

プロ野球選手として、体力の限界を感じての引退の決断でした。

巨人のフロントにも引退決意が伝わり、11月24日のファン感謝デーをもって引退発表をすることになります。

しかし、長嶋選手は、シーズン最終戦終了直後に引退表明したいことを頑なに主張しました。

巨人がこの年、V10を達成できなかったことをファンに謝罪したいこと、そして自分自身、言葉で直接ファンに伝えたいという想いがあったのです

 

長嶋選手引退の報については、巨人フロントは報道陣にスクープされないよう、最新の注意を払います。

当時の報道陣も、国民的スターの長嶋選手の晩節を汚すような行為は避けたのです。

 

1974年のシーズンは、10月12日に中日が優勝を確定しました。

翌日の13日は雨で試合延期になったため、10月14日、中日とのダブルヘッダー試合が最終試合日となりました。
そしてこの日こそ、長嶋選手の現役最後の試合となったのでした。

第一試合終了後、長嶋は突如グラウンドに飛び出し、外野のファンへと挨拶に向かいました。

段取りにない、突発手な行動でしたが、この後の引退セレモニーでは外野席のファンには直接声をかけられないと判断した、長嶋選手のファンサービスでした。

 

長嶋選手は、はじめは笑顔で挨拶していましたが、途中から泣き顔になります。

それを見たファンは一瞬シーンと静まり返りますが、長嶋選手と一緒にファンも泣きながら、大きな拍手を送ったのでした。

 

第二試合終了後、長嶋選手の現役引退セレモニーが行われ、あの有名なスピーチを残してグラウンドを去ることになったのでした。

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長嶋茂雄に引退を勧めた『恩師』の想い

当時の長嶋は「俺はまだやれる」と現役続行の意思を強く持っており、ボロボロになるまで選手であり続けたいと考えていました。

そんな長嶋に川上は1973年から密かに引退を勧め、翌年ついに長嶋本人も引退を承諾する事になるのです。

 

川上哲治…その名は野球を少しでも好きな人なら誰でも知っている、野球界を一冊の歴史本にした時には最重要人物の一人として必ず登場するであろう偉大なる功績を残した方です。

川上哲治は1920年生まれ、川上がプロ野球選手として活躍していた当時の日本は戦禍の真っただ中でしたが、川上は様々なタイトルを数多く獲得し、史上初の2000本安打を達成、“打撃の神様”の異名をとり、引退後に読売巨人軍の監督に就任します。

その指揮は画期的で意欲的で川上野球と称され、読売巨人軍は川上野球のもと黄金時代に入り、連覇を続け、さらに王・長嶋が活躍してタイトルを独占するという、いわゆる「巨人・大鵬・卵焼き」の時代が訪れるようになったのです。

 

また時の移り変わりとともに川上は長嶋に対して、「長嶋茂雄」のイメージを壊すことなく現役を退かせ、巨人の指揮官の継がせたいという強い思いを抱くようになり、監督としての教育を施そうと長嶋の現役生活の晩年はコーチ兼任をさせたり、監督会議にも出席させ監督業を学ばせていきます。

そして1974年、長嶋自身の成績不振V9まで続いた優勝がついに途切れ、そして川上自身もここが区切りと退任を決めた事で長嶋は自らの引退と次期監督就任を受け入れたのです。

 

当時の長嶋と川上の関係性を、長嶋監督就任の際にヘッドコーチを務めた関根潤三さんはこう言っています。

「長嶋は川上の事を陰ではよく“オヤジがうるさくって”とボヤいていたけど、川上さんの前に出れば、直立不動だった。僕はオヤジという呼び方は、反発としてではなく、親しみを込めてだったと思っている。勝つためには、なんだかんだお互いを認め合う関係だったと思う」

また長嶋は川上の訃報に触れた際には、「私にとって川上さんは、とてつもなく大きな存在でした」とコメントしています。

勝利のために非情に徹した川上と、勝つことにもロマンを求めた長嶋ではありましたが、師弟関係として両者を結んでいたのは、常に巨人を支え、勝利を求められた事であり、そして、球界を背負って立つべき存在である事を誰よりも互いに自覚していた事だったのでしょう。

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誰もが涙した、長嶋茂雄の引退スピーチ


引退セレモニーが始まりで、長嶋選手がグラウンドに現れます。

長嶋選手をまっすぐに映し出すスポットライト。

電光掲示板には、「ミスターG 栄光の背番号3」の文字が鮮やかに映し出されれるなか、引退スピーチが始まりました。

まずはファンに向かって、プロ野球選手として17年間、応援してくれたことに対して、心からお礼の言葉を伝えます。

体力の限界により引退すること、そしてV10を達成できなかったことについてのファンへの謝罪。

しかし、最後の最後まで巨人というチームで全力を尽くしたことをファンに報告します。

そして、あの有名な言葉が、長嶋選手の口から出るのです。

「私は今日、引退をいたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です!」

 

この言葉は、巨人ファンならずとも、国民的スーパースターの言葉として、野球ファンの伝説になっています。

この瞬間をリアルタイムで見ていた人は、誰もが心のなかで、ひとつの時代の終了を感じました。

長嶋茂雄選手という大きな存在を失ったのです。

引退セレモニーを見ながら、涙した人も多かったでしょう

リアルタイムで見ていない世代にも、メッセージは確実に伝わっています。

晴れやかで、力強い引退スピーチだったと、皆の心に残るすばらしい言葉でした。

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