優勝に終わったプレミア12で指揮をとった稲葉篤紀さん。

プロ野球監督としての成績に花を飾り、監督としてこれからの活躍に期待がかかっています!

そんな稲葉篤紀さんの選手時代の成績はどのようなものだったのでしょうか?

今回は、稲葉篤紀さんの現役時代の成績について、プロ入り前、ヤクルト時代、日ハム時代の3つに分けて、調べてみました!

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稲葉篤紀の成績~プロ入り前~

稲葉篤紀さんは愛知県北名古屋市出身で、少年時代から野球を始めます。

高校は中京高校に入学。

3年生の時に愛知大会準決勝まで駒を進めましたが、イチロー選手が所属していた愛工大名電高校に4-5で敗れ甲子園出場は果たせませんでした。

 

その後、法政大学経営学部に進学し野球を続けることに。

大学でのリーグ通算成績は86試合出場し、307打数86安打、打率は2割8分、本塁打数は6、打点は50点という成績を残しました。

稲葉篤紀さんは1年生の春から試合に出場しており、主に中軸を打つことも多かったようです。

当時は4番を任されていた選手がいたことと、故障を抱えていたことが重なり、一塁手に定着するのは3年春からでした。

2年春には、レフトとして先発起用も検討されていましたが、この時も故障を抱えていた中でのシーズンだったので、不出場に終わっています。

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3年春から一塁手として定着し、第22回日米大学野球の日本代表に選ばれました。

そして、4年時には4番打者として法政大学を秋季リーグ優勝に貢献。

また、東京六大学春季リーグでベストナイン、第23回日米大学野球日本代表に選ばれるなどプロ入り前から大活躍していました。

そして1994年、稲葉篤紀さんはプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズに3位指名を受け、プロ野球選手となったのです。

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稲葉篤紀の成績~ヤクルト時代~

稲葉篤紀さんのヤクルト入団後の成績はどうだったでしょうか。

入団後1年目の1995年に、外野手として早くも1軍出場を果たします。

また、一塁手としてプロ初出場の広島東洋カープ戦で、初本塁打を放つなど素晴らしいスタートを切りました。

最終成績は67試合出場、打率3割7厘、8本塁打と、好成績を残します。

2年目から、レギュラーに定着し3年目まで好調を維持。

 

しかし、4年目から故障の影響を受け成績は伸び悩んで不調でしたが、2001年にヤクルト時代ハイライトを記録しました。

打率が3割1分1厘、25本塁打、自己最多打点の90を記録し、ヤクルトの4年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献。

またこの年にプロ初のベストナインを獲得しました。

この年以降は不調に転じ、故障の影響によりシーズン通してできずに終わるなどありましたが、史上56人目のサイクル安打を達成するなどの成績を収めています。

2004年にFA宣言をし、メジャーリーグ移籍を希望しましたがオファーがなく2005年から北海道日本ハムファイターズに移籍します。

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稲葉篤紀の成績~日ハム時代~

続いて日ハム時代の稲葉篤紀さんの成績です。

2005年から主軸として活躍し、127試合出場、打率2割7分1厘の成績を残しました。

2006年から活躍の場を広げ、自己最多本塁打数となる26本を記録。

さらにベストナインや初のゴールデングラブ賞を受賞しています。

 

2009年からは主将を命じられ、第2回WBC 日本代表に選出されます。

WBCでも打3割1分8厘を記録し、チームに大きく貢献。

ところが翌年の2010年からは不振に陥り、打率が3割を切ることが増えていました。

また、守備面では外野手としての起用が減り一塁手としての出場が増えました・・・が、ここで肩落とすことなく、2012年には内野手・外野手の両方でゴールデンクラブ賞を受賞します。

さらに、通算2000本安打と通算250本塁打を達成するなどメモリアルな年となりました。

 

次の年からは、1軍コーチ兼外野手として選手活動を開始。

またこの年の第3回WBC 日本代表選手に40代の選手として史上初選出されました。

ですが、ペナントレースでは選手人生で最大の不振に陥り、打率が2割3厘と低迷。

シーズン中も3度、一軍登録を抹消されていました。

2014年は選手に専念し、左膝関節軟骨損傷のクリーニング手術を行い7月から復帰。

シーズンを通しての打率は2割3分4厘に終わりましたが、クライマックスシリーズでは代打出場をして適時打や勝ち越しの適時打を放つなど、チームの勝利に大きく貢献しました。

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稲葉篤紀の成績は?現役時代を振り返ってみた:まとめ

・プロ入り前の稲葉篤紀さんは法政大学で一塁手として4番打者を任され、日米大学野球日本代表選出などの活躍し優秀な成績を収めていた。

・プロ入り後の稲葉篤紀さんのヤクルト時代は1年目からチームの打撃手として活躍し以降レギュラーとして第一線で活躍していた。

・日ハム時代の稲葉篤紀さんはチームのメイン打者として、また守備面でも内野手・外野手ともにゴールデングラブ賞を受賞するなど優秀な成績を残した。

以上の内容でお送り致しました。

 

とても輝かしい経歴を持たれた方で大変驚きましたね。

またそれとともに、プロ人生の中で何度も好調と不調を繰り返していることもわかりました。

不調の中でも、あきらめず不屈の精神で立ち上がる。

その精神力の強さを垣間見ることができました。

今後の野球人人生も監督やコーチとして、活躍してほしいですね‼

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