この記事では、稲葉篤紀さんのヤクルト時代の成績や、恩師・野村克也さんとの関係性などについてお伝えしています。

北海道日本ハムファイターズで活躍し、一躍時の人となった稲葉篤紀さん。

引退後は、野球を通して若い世代とスポーツの接点を作ったり選手と球団をつなげる架け橋となる役職に就くなど自らの選手経験を生かした活躍をされています。

さらに、2017年からは日本代表の監督を務めるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍し続けています。

 

そんな稲葉篤紀さんがプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせたのは東京ヤクルトスワローズということをご存じでしょうか?

入団した1995年当時のヤクルトスワローズの監督は、野村克也さんでした。

ヤクルト時代の稲葉さんと野村克也さんとの関係はどのようなものだったのでしょうか?

 

この記事をお読み頂くことで、

・プロキャリアのスタートとなった、ヤクルト時代の成績について

・野村克也さんが切る!

・当時を知るファンの声は?

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

2020年2月、野村克也さんは天国に旅立たれました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
この記事では、旅立たれる前に得た情報をお伝えしています。

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稲葉篤紀のヤクルト時代の成績は?

稲葉篤紀さんのヤクルト時代は、大活躍といっても過言ではない成績を残していました。

まさに、奇跡のルーキーとも言えたでしょう。

プロデビューした1995年のプロ初打席では、異例の初ホームラン。

その後もプロ初めの年で、規定打席まではいかなかったものの8本塁打、打率.307をたたき出すなどの結果を残しています。

この成績が評価され、翌年からレギュラーを獲得しました。

出場試合数は125試合と異例の大出世をしています。

また、試合に出場するだけでなく打率も3割を超えるなど確実な成長を見せていました。

プロ3年目にはチームの中でも2番手の本塁打数を記録し、その数は21本塁打。

チームにとって2年ぶりのリーグ優勝と日本一達成に貢献しました。

 

その後、故障やそれによる不調によって出場試合数が減り、打率も低下する時期もありました。

しかし、2001年のシーズンでは25本塁打、打率.311という圧倒的成績を残します。

打点も自己最多となる90打点を記録しこの年、プロ野球選手人生において最も活躍した年になりました。

加えてチームを4年ぶりのリーグ優勝と日本一に導くなど、優れた成績と実績を残しています。

またこの年のベストナイン賞を獲得するなど名実ともに一流プロ野球選手としての地位を不動のものにしました。

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ヤクルト時代の恩師、稲葉篤紀の采配を切る!

ルーキーのころから大活躍していた稲葉篤紀さんのヤクルト時代。

その、支援者として当時の東京ヤクルトスワローズの監督、野村克也さんがいらっしゃいます。

現在は、球界のご意見番としてその手腕をふるっており野球中継でも解説者として活躍しています。

 

稲葉さんは、入団した1995年から野村さんが退任する1998年までの4年間を野村さんのもとで活躍していました。

ルーキー時代に、名将と呼ばれた野村さんに教えを乞うことができる環境に入れたことは、稲葉さんにとって代えがたい貴重な時間になったのではないでしょうか。

 

稲葉さんを指導してきた野村さんが、TBSの番組出演した際には稲葉さんに向けてコメントをのこしています。

野村さんが注目したのはアジアチャンピオンシップで韓国と優勝をかけて争った試合で日本が先制点をとったシーン。

日本は四球と韓国側の失策による無死1,2塁という場面。

打者は当時の西武「外崎」でした。

このとき、外崎は右翼フェンス直撃の先制適時打を放ちましたが、ここに、稲葉さんの采配の甘さを指摘しました。

野村さんは、「なんで2塁いったらバントさせないんだよ」とコメント。

「こういうの結果オーライっていうんだよ、稲葉監督は経験のない監督だから怖さを知らない。」と辛口のコメントを残しました。

ですが、「はじめてにしてはよくやった」と稲葉さんに向けて野村さんらしい激励のコメントを残しました。

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