長嶋茂雄さんといえば、言わずと知れた「ミスタープロ野球」です。

その呼び名は決して伊達ではありません。

長嶋茂雄さんの通算成績をみれば、その凄さが分かります。

現役選手時代と監督時代の成績を見ながら、プロ野球界のスーパースターであった理由をご紹介したいと思います。

 

この記事をお読み頂くことで、

・長嶋茂雄さんが現役時代に残した、本当に凄い通算成績

・監督時代の成績

・長い歴史の中で、たった4人しか成し得ていない記録について

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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長嶋茂雄の凄すぎる成績!通算成績でも流石!

巨人の伝説的プレイヤーにして、「ミスタープロ野球」の長嶋茂雄さん。

まずはその驚異的な通算成績を見ていきましょう。

長嶋選手は1958年に巨人に入団し、現役選手として17年間活躍しました。

入団の年に、すでに打点と本塁打の2冠に輝くスーパールーキーぶりでした。

通算成績は、2186試合に出場、打率が.305、打点1522、444本塁打という輝かしい記録です。

首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回。

惜しくも3冠王に届くことはありませんでしたが、2冠王には3回選ばれています。

同時期にチームメイトだった王貞治選手と激しく競っており、もし王選手がいなかったら3冠取得も容易なことだったでしょう。

長嶋選手と王選手が牽引していたV9時代の巨人がいかに強かったか、このことからも分かると思います。

 

三塁手として華麗な守備でファンを魅了し、バッティングで勝負強さがあり、大事なところで点を取ってくれる安心感がありました。

また、長打力も備えている万能の選手であり、まさにスーパースターというにふさわしい存在でした。

その活躍ぶりからは、野球の天才と思われることが多い長嶋選手でしたが、練習量も人一倍でした。

長嶋選手の練習には、人の意見を貪欲にとりいれて自己流に消化していくような、底なしの好奇心が備わっていました。

その豊富な練習量があったからこそ、MVPに5回選ばれるような成績が残せたと言えるのです。

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監督・長嶋茂雄の成績は?監督時代は山あり谷ありだった…

1974年、「我が巨人軍は永久に不滅です!」の名言を残し、長嶋茂雄選手は現役引退をしました。

引退会見で「ボロボロになるまでやれて幸せだった」と語ったように、最後まで全力を出し切った、悔いの残らないすばらしい引退でした。

 

次の年から、巨人の監督に就任し、第一次長嶋体制がスタートしました。

しかしこの年、チーム成績は振るわずに、球団史上初のリーグ最下位で終わっています。

選手の補強失敗やコーチの入れ替えなど、球団内部事情の影響があったと言われています。

長嶋監督が目指した、チームの力量で正々堂々と勝負をする「クリーン・ベースボール」は空振りに終わったのでした。

 

それでもあきらめることのなかった長嶋監督は、2年目、3年目は見事にリーグ優勝を果たし、結果を出すことができました。

巨人を、実力が伴った常勝チームに育てたあげた長嶋監督の努力が実ったと言えるでしょう。

巨人はその後、リーグ2位、5位と成績は伸び悩みます。

1980年、チーム不振の責任を取るかたちで、長嶋監督は解任されました。

解任後しばらくは野球解説者やタレントとして活躍しますが、その間、他球団から監督就任の打診が多々あったそうです。

しかし、長嶋茂雄さんは巨人への想いを胸に抱き続け、それらの依頼を断わっています。

1993年、ついに巨人の監督に復帰。第二次長嶋体制が始まります。

ドラフト会議では松井秀喜選手を引き当て、落合博満選手清原和博選手など、大型補強を行います。

また、1998年には、後に巨人の監督を務めた高橋由伸選手が入団し、打線を支えました。

劇的な優勝を2回達成したあと、長嶋巨人はしばらく優勝から遠ざかりましたが、Aクラスに留まり続けることができたのは、長嶋監督の功績としてあげるべきでしょう。

 

2001年、長嶋監督は勇退します。

引退会見で語った、「野球というスポーツは人生そのもの」の言葉通りの野球人生を歩んだのです。

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