長嶋選手の高校時代、大学時代のエピソードを通して、その理由をご紹介していきたいと思います。
ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんは、実は高校時代、ほぼ無名の存在でした。
その長嶋茂雄選手が、大学時代に大活躍をして、プロ野球選手になれたのはなぜなのでしょうか?
この記事をお読み頂くことで、
・実は無名だった、長嶋茂雄さんの高校時代のエピソード
・スターとなった、大学時代のエピソード
・少年時代は巨人ファンではなく…まさかの!?
等について知ることができます。
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長嶋茂雄の高校時代は?
やべ!月刊 長嶋茂雄買っちゃった。
長嶋茂雄は昔から知ってるけど、ファンになったのは国民栄誉賞取ってからだからな。これ読んで昭和を勉強するか。
*(^o^)/* pic.twitter.com/8wLIJiSLYO— 河野哲也⚡️kohno tetsuya (@gooodzilla) June 6, 2013
一本の特大ホームランが、一人の高校球児の運命を変えた、と言ってもいいでしょう。
このホームランは、1953年8月1日、高校野球公式試合で長嶋茂雄選手が放ったもので、350フィート、約107メートルの飛距離がありました。
高校時代をとおして無名の存在だった長嶋茂雄選手を、プロの道に大きく導く特大ホームランだったのです。
長嶋茂雄さんは、小学6年生から野球を始め、中学時代も野球部漬けでした。
当時の子供たちの将来の夢は、野球選手になることだったので、長嶋茂雄さんもその一人にすぎず。
高校への進学先を決める際にも、野球への思いを持ち続けていた長嶋選手は地元の名門高、佐倉第一高等学校を選びました。
3年間の高校時代は、パッとしない成績で終始しましたが、高校時代最後の年に長嶋選手自身唯一の公式戦でのホームランを放ちます。
この特大ホームランがスカウトの目に留まり、長嶋選手は注目される存在になりました。
巨人からのオファーもあったのですが、長嶋選手の父親の強い意向で、立教大学へ進学することになります。
なお、このオファーについては本人に伝えられる前に、父親が独断で断ってしまったため、プロ野球選手希望だった長嶋選手は激怒したとのことです。
長嶋茂雄の大学時代は?
立教大学野球部推薦セレクションを2位の成績でパスした長嶋茂雄選手は、経済学部へ入学します。
六大学野球では、同期であった、阪急の本屋敷選手、南海の杉浦選手ととともに「立教三羽烏」と呼ばれ、活躍します。
1956年、1957年に首位打者のタイトルを取り、5シーズン連続でベストナインに選ばれています。
また、六大学野球新記録になる8本塁打を放つなど、野球選手としての躍進しつづけました。
大学野球で長嶋選手の野球の素質が開花したとも言えますが、その華やかな活躍の裏には、メジャーの選手を手本にした猛練習があったのも事実です。
華麗な活躍をする長嶋選手は、球団スカウトの注目の的でした。
鋭い打撃と俊足、そしてなによりも三塁手としての守備範囲の広さが、多くの球団の注目を集めたのです。
走攻守と揃った長嶋選手のもとに、プロ入りを勧める球団が多く通ってきます。
中でも本命といわれていたのが、南海ホークスでした。
野球部の先輩である大沢啓二選手が南海に入団していたこともあり、太いパイプがあったのです。
そんな中で、どうしても長嶋選手を獲りたい巨人は、長嶋選手の母親を説き伏せる作戦に出ました。
南海や阪神に入団すると、千葉の実家からは遠く離れて暮らすことになってしまいます。
在京球団であることを強みとして母親を説得した結果、長嶋選手はその意向をくんで、巨人に入団することを決めました。
背番号は「3」。ここに、ミスタープロ野球、長嶋茂雄選手が誕生したのでした。
少年時代の長嶋茂雄は、阪神ファンだった!
巨人に入団を決めた「ミスタージャイアンツ」長嶋茂雄選手ですが、本来は阪神ファンだったのです。
長嶋茂雄さんが子供のころは、子供たちは野球で遊ぶことに夢中でした。
将来なにになりたいかと聞けば、皆がプロ野球選手と答えるくらい、野球は子供たちの間で人気があったのです。
そんななか、長嶋茂雄さんは後楽園球場ではじめてプロ野球の試合を見ています。
阪神対東急の試合で、そのころ阪神には「ミスタータイガース」藤村冨美夫選手がいました。
「物干しざお」と呼ばれた37インチ(約94センチ)の長いバットを使ってパワフルななスイングをする姿が、長嶋少年の目に焼き付いたのも無理はありません。
藤村選手は、通算打率3割、224本塁打、1126打点を叩き出し、首位打者1回、本塁打王3回、打点王を5回獲得しています。
また、投手としても活躍し、現役引退後は野球殿堂入りしています。
子供のころから藤村選手に憧れていた長嶋選手は、当然プロ野球の世界に入る際にも、阪神を選ぶ可能性はあったわけです。
もし阪神に入っていたら、どのような活躍をしていたでしょうね。
ON砲は結成されていなくても、きっとプロ野球史に残る活躍はしていたのではないでしょうか。
→関連記事: 長嶋茂雄の背番号3…そして「33」と「90」の時代を振り返る
このような「もしも」を考えるとき、野球ファンは無類の楽しみを見出します。
野球ファンである醍醐味と言えるでしょうね。
長嶋茂雄の高校時代と大学時代を調査!【ミスターの青春時代は…】:まとめ
・長嶋茂雄選手の、佐倉第一高校時代の成績は振るわなかったが、一本の特大アーチが運命を変えた。
・立教大学時代、長嶋茂雄選手は立教三羽烏のひとりとして有名で、走攻守揃ったすばらしい野球選手だった。
・長嶋茂雄さんの子供のころは、阪神の藤村選手が好きだったので、阪神ファンだった。以上の内容でお送り致しました。
以上の内容でお送り致しました。
高校時代の公式試合唯一のホームランが野球選手の人生を変えてしまうようなパワーを秘めていることがあります。
しかし、その裏には何事にも全力を尽くすような、野球に対する熱い思いと、プロ野球選手になるという夢を持ち続ける力が働いていたことは事実でしょう。
また、大学時代にいくつもの球団が接触してきたときに、有力だった阪神や南海に入らずに、結果として巨人に入団したのはある意味偶然かもしれません。
しかしそれがなければ「ミスタージャイアンツ」「ミスタープロ野球」と呼ばれる長嶋茂雄さんは生まれていなかったと思うと、不思議というよりは必然だったのではと考えてしまいますね。
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