長嶋茂雄の高校時代と大学時代を調査!【ミスターの青春時代は…】

長嶋選手の高校時代、大学時代のエピソードを通して、その理由をご紹介していきたいと思います。

ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんは、実は高校時代、ほぼ無名の存在でした

その長嶋茂雄選手が、大学時代に大活躍をして、プロ野球選手になれたのはなぜなのでしょうか?

 

この記事をお読み頂くことで、

・実は無名だった、長嶋茂雄さんの高校時代のエピソード

・スターとなった、大学時代のエピソード

・少年時代は巨人ファンではなく…まさかの!?

 

等について知ることができます。

[char no=3 char=”野球犬”]ぜひ最後までお付き合い下さい![/char]

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長嶋茂雄の高校時代は?

 

一本の特大ホームランが、一人の高校球児の運命を変えた、と言ってもいいでしょう。

このホームランは、1953年8月1日、高校野球公式試合で長嶋茂雄選手が放ったもので、350フィート、約107メートルの飛距離がありました

高校時代をとおして無名の存在だった長嶋茂雄選手を、プロの道に大きく導く特大ホームランだったのです。

 

長嶋茂雄さんは、小学6年生から野球を始め、中学時代も野球部漬けでした。

当時の子供たちの将来の夢は、野球選手になることだったので、長嶋茂雄さんもその一人にすぎず。

高校への進学先を決める際にも、野球への思いを持ち続けていた長嶋選手は地元の名門高、佐倉第一高等学校を選びました。

3年間の高校時代は、パッとしない成績で終始しましたが、高校時代最後の年に長嶋選手自身唯一の公式戦でのホームランを放ちます。

この特大ホームランがスカウトの目に留まり、長嶋選手は注目される存在になりました。

 

巨人からのオファーもあったのですが、長嶋選手の父親の強い意向で、立教大学へ進学することになります。

なお、このオファーについては本人に伝えられる前に、父親が独断で断ってしまったため、プロ野球選手希望だった長嶋選手は激怒したとのことです。

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長嶋茂雄の大学時代は?

立教大学野球部推薦セレクションを2位の成績でパスした長嶋茂雄選手は、経済学部へ入学します。

六大学野球では、同期であった、阪急の本屋敷選手、南海の杉浦選手ととともに「立教三羽烏」と呼ばれ、活躍します。

1956年、1957年に首位打者のタイトルを取り、5シーズン連続でベストナインに選ばれています。

また、六大学野球新記録になる8本塁打を放つなど、野球選手としての躍進しつづけました。

大学野球で長嶋選手の野球の素質が開花したとも言えますが、その華やかな活躍の裏には、メジャーの選手を手本にした猛練習があったのも事実です。

 

華麗な活躍をする長嶋選手は、球団スカウトの注目の的でした。

鋭い打撃と俊足、そしてなによりも三塁手としての守備範囲の広さが、多くの球団の注目を集めたのです。

走攻守と揃った長嶋選手のもとに、プロ入りを勧める球団が多く通ってきます。

中でも本命といわれていたのが、南海ホークスでした。

野球部の先輩である大沢啓二選手が南海に入団していたこともあり、太いパイプがあったのです。

 

そんな中で、どうしても長嶋選手を獲りたい巨人は、長嶋選手の母親を説き伏せる作戦に出ました。

南海や阪神に入団すると、千葉の実家からは遠く離れて暮らすことになってしまいます。

在京球団であることを強みとして母親を説得した結果、長嶋選手はその意向をくんで、巨人に入団することを決めました

背番号は「3」。ここに、ミスタープロ野球、長嶋茂雄選手が誕生したのでした。

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