この記事では、原辰徳さんの年俸推移について、当時を振り返りながらお伝えしています。

現役時代はチームの4番として活躍し、球界のスーパースターという立ち位置でした。

また監督としても見事な実績をお持ちの原辰徳さん。

…ですから、年俸も大変見事なものです(@_@)

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原辰徳の年俸推移(現役時代)

それでは、原辰徳さんがプロ入りして引退するまでの、年俸推移(※推定)をご覧下さい。





ルーキーイヤーの年俸は840万円からスタートしています。

その後3年連続で上昇。

ここまでは順調でしたが、そこから3年間は3870万円に止まっています。

『止まっています』とは言うものの、20台半ばでこれほど稼いでいる人はごく僅かでしょうけど(@_@)

 

しかし、翌年の1988年には6000万円と大幅アップ!

前年にベストナイン&ゴールデングラブ賞に輝いたこと、また節目の200本塁打を放っています。

大幅アップする要因は沢山あったようですね。

 

その後も年俸は順調に上向きへと推移していきます。

そして1991年に9400万円となりました。

いよいよ大台の1億円が目の前に!

・・・ところが翌年の年俸は9900万円と、あえて1億円の壁を作ったと思われる結果となりました。

こうなってしまった要因として、1991年シーズンはチームが『Bクラス』に低迷してしまったことが考えられます。

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原辰徳さんにとって、チームが下位でシーズンを終えるのははじめての経験でした。

個人成績だけみると、同年はベストナインにも選出されていますし、決して不本意ではなかったと言えます。

また、プロ入り以降11年連続20ホームランという『日本新記録』という、偉大な記録も樹立した年でもあります。

 

にもかかわらず、年俸が微増だったということは、これは球団からのメッセージだったのではないでしょうか?

『チームの4番として、Bクラスに甘んじた責任を感じて欲しい』

そんな意味合いを感じます。

 

前年の悔しさをバネに精進した結果、1993年にはジャイアンツの日本人野手として初の1億円プレイヤーとなりました。

以降、1994年と1995年も1億円の大台を守るも、怪我の影響等から成績は低迷。

1995年、1億円プレイヤーの冠を持ったまま、ユニフォームを脱ぎました。

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原辰徳監督の年俸(2019)が凄すぎ…。

低迷したチームの為、2019年に3度目の監督就任。

2位に5・5ゲーム差を付けての優勝を果たしました。

日本シリーズでは残念な結果に終わってしまいましたが、リーグ優勝したという事実に変わりはありません。

・・・さて、そんな名将・原辰徳監督の2019年の年俸はというと、

3億円(※推定)

なんと現役時代の3倍近い年俸です。

驚きの数字ですが、原辰徳さんの実績を考えると、決して『高すぎ!』とは言えないでしょう。

驚愕の年俸に続きまして、監督・原辰徳の輝かしい経歴をご覧いただきたいと思います。

 

現役を引退後は野球解説者を経て、コーチとしてジャイアンに復帰します。

長嶋茂雄監督の背中を見て、指導者とは何たるか?を沢山学んだことでしょう。

2002年に『ミスタープロ野球』の後を継ぎ、原辰徳監督が誕生。

監督1年目からいきなりリーグ優勝、そして日本一へと輝きます。

翌年のシーズン終了後に一度現場を退きますが、2006年に復帰。

2015年に勇退するまで、リーグ優勝6回、日本一に2回輝くなど、見事な成績を納めました。

そして3年のインターバルを経て、第3次・原政権がはじまります。

リーグ優勝という最高の形でスタートした、3度目の監督業。

来年以降にも注目ですね!

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原辰徳の年俸推移と、2019年の年俸(監督)をチェック!: まとめ

・原辰徳さんの現役時代の年俸推移&経歴

・2019年の年俸と、監督としての経歴

以上の内容でお送り致しました。

 

将来的には、阿部慎之助さんにバトンを渡すことが考えられます。

それまでの間に、一体何回優勝してくれるのでしょうか?

そして2019年に逃してしまった、日本シリーズ制覇という宿題も残っています。

名将の采配に期待したいと思います!

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