この記事では、原辰徳さんと父親・原貢さんについて、そして高校時代の二人の関係等についてお伝えしています。

原辰徳さんの父親・原貢さんといえば、高校野球ファンにとって伝説的な人物だと思います。

そんなレジェンドと息子・原辰徳さんの高校時代は、少々複雑だったようです・・・。

 

この記事をお読み頂くことで、

・父親は高校球界のレジェンド!

・親子で甲子園に出場!

・…しかし、当時は複雑だった。

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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原辰徳の父親は凄い人だった

高校球界の伝説・原貢

原辰徳さんの父親・原貢さんが如何に凄い人物か?

原貢さんは高校野球の歴史に名を刻んだ『名監督』でした。

それをご存じの方は、なかなかの高校野球ファン、もしくはオールドファンだと思います。

 

原貢さんは息子・原辰徳さんとは違い、アマチュア球界一筋の野球人生でした。

原貢さんの名を世に知らしめたのは、現役選手を引退した後の監督時代です。

1965年・夏の甲子園大会で、初出場だった無名の高校が快進撃を見せました。

 

原貢監督率いる福岡県立三池工業高校は、一回戦で香川県代表の高松商と対戦。

高松商は同大会の優勝候補でした。

大方の予想は『高松商が順当にコマを進める』といったところだったでしょう。

…ところが、延長の末に三池工業が殊勲の勝利!

勢いそのままにトーナメントを勝ち上がり、決勝戦で千葉県代表の銚子商と激突。

決勝戦も制し、見事に全国制覇を成し遂げます。

 

甲子園初出場にして優勝。

これはとんでもない大偉業なのですが、三池工業工業の優勝には、更にもう一つの記録が隠れています。

それは、工業高校初・夏の甲子園大会制覇です。

夏の甲子園大会の歴史は100年を越える長さですが、その歴史の中で工業高校が優勝したのは唯一、三池工業のみ。

偉業が更に際立ちますよね。

当時の三池工業の主役

優勝メンバーの中心的な選手と言えば、2年生にしてエースを務めた上田卓三さんでしょう。

一回戦から全国制覇の瞬間まで、一度もマウンドを譲りませんでした。

上田卓三さんは同大会ので50イニングを投じ、防御率は驚異の0・90を記録。

彼の存在無くして、三池工業の全国制覇はあり得なかったかもしれません。

 

当然ながらプロ野球界は、上田卓三さんの活躍に注目。

ドラフト一位で南海ホークスに入団、その後阪神タイガースに移籍するなど、11年間のプロ生活を送りました。

リリーフを中心として活躍し、多彩な変化球を武器にしていたそうです。

主な通算成績は以下の通りです。

登板数:205、投球回:393.1、先発:10、勝ち:13、負け:13、セーブ:2、奪三振:194、防御率:3.41

成績を見る限りでは、チームの大黒柱…というよりも、目立ちはしないがチームに不可欠な存在…といったところだったのではないでしょうか?

主役級であってもそうでなくても、厳しいプロ野球の世界で11年間も生き抜いたのですから、素直に凄いことだと思います!

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原辰徳の父親は、高校時代に共闘していた

原貢さんの監督としての手腕に、東海大学の総長・松前重義さんは惚れ込み、東海大相模高校の野球部監督に招き入れます。

ここでも原貢さんは指導力を発揮し、東海大相模を全国区へと伸し上げました。

 

同校の知名度が更に上がったのが、1974年に息子である原辰徳さんの入学したこと。

アマチュア球界屈指の名監督の元に、その長男が!

これを世間が放っておく筈がありません。

 

『親子鷹』と大きな注目を浴びた二人でしたが、息子・原辰徳さんもその期待に答えるべく成長。

一年生にしてレギュラーを獲得し、夏の甲子園大会に3回連続出場を果たしました。

個人記録を見ても、高校通算43本塁打を放っており、間違いなく当時の高校球界を代表するスラッガーだったと言えます。

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