今回は、長嶋一茂さんの現役時代の成績(高校、大学、プロ)についてお伝え致します。

テレビで幅広い活躍を見せている長嶋一茂さん。

そんな彼の現役時代を知らない人も結構いるのではないでしょうか?

何を隠そう…長嶋一茂さんは、元プロ野球選手。

実は大学時代、凄い成績を収めていました・・・!

 

この記事をお読み頂くことで、

・野球人・長嶋一茂さんの成績(高校→大学→プロ)

・その間に残した「長嶋一茂さんらしい」エピソード

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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長嶋一茂の高校時代は?成績は?

まずは長嶋一茂さんの高校時代の成績を御覧下さい。

残念ながら高校3年間の通算成績は残っていませんが、最後の夏に残した成績(埼玉県予選)は以下の通りです。

1回戦〇(7月19日)幸手商戦…8対0(4打数2安打)
2回戦〇(7月22日)慶応志木戦(4打数2安打)
3回戦〇(7月24日)所沢高戦(二塁打・三塁打)
4回戦〇(7月25日)熊谷西戦(2安打)
5回戦〇(7月27日)春日部共栄戦(無安打)
準決勝●(7月29日)所沢商戦(4打数2安打)

甲子園出場は残念ながら逃してしまいましたが、見事な活躍と言えるのではないでしょうか?

県予選では通算10本もヒットを放っています。

 

因みに、昨今注目される『高校通算本塁打』ですが、本人曰く『公式戦では打ったことはない、練習試合では打ったような?』とのことでした。

 

続きまして、数字だけでは見て取れない【高校球児・長嶋一茂】を詳しく見てみましょう。

長嶋一茂・野球再開するってよ

長嶋一茂さんの出身高校は立教高等学校で、現在は立教新座高等学校と校名を変更しているようです。

当時、長嶋一茂さんは当高校で野球を『再開』します。

『再開』と言いますのは、一度野球を辞めていたからです。

実は長嶋一茂さん、中学生の頃は野球部に所属しておらず、ボールすら触っていませんでした。

どうやら小学校の頃に一度挫折しているみたいですね。

その原因は、偉大な父の影響からか、それとも・・・?

 

ではなぜ、一度辞めてしまった野球、それも中学時代の長いブランクを経て高校で再開したのでしょうか?

その切っ掛けとなったのは、当時ジャイアンツの監督を務めていた父・長嶋茂雄さんの解任事件でした。

当時のオーナーの『鶴の一声』により、国民的スーパースター・長嶋茂雄の突然の解任。

日本中の、そして長嶋家にとっての大事件となりましたが、これが長嶋一茂さんを野球の世界へと呼び戻す切っ掛けとなろうとは。

この事件が起こった時、長嶋一茂さんは心に誓いました。

自分がジャイアンツを見返してやるんだ!

ここから長嶋一茂さんの本格的な野球人生がスタートしたと言えます。

超一流の遺伝子を持つ長嶋一茂さんですから、復帰すると知ったご家族や身内の人たちの期待は大きかったことでしょう。

 

・・・ところが、現実はそう甘くありませんでした。

やはり成長期といえる中学3年間を空白の状態で過ごした付けは大きかった。

長嶋一茂さんが練習する姿を見た周りからは、こんな声が聞こえてきたそうです

長嶋茂雄の息子なのに下手だな

この上ない屈辱だったと容易に想像できます。

しかし、これら外野からの声を糧に、チームの中心ともいえるポジションを勝ち取ります。

長嶋一茂さんが『4番・ファースト』を任されるようになったのは2年生の秋の頃でした。

チームの4番を任されるのは本当に凄いことです。

これは間違いなく実力でもぎ取ったものであると言えます。

実際、練習試合での打率は3割を上回っており、決して『親の七光り』ではありませんでした。

既に垣間見えていた長嶋一茂感w

高校時代に残した成績と、ひた向きの努力を続けたからこそ勝ち得た立ち位置でしたが、既に現在の長嶋一茂を感じるエピソードが存在します。

 

それはチームが準決勝で敗れたときのこと。

実はは敗因は長嶋一茂さんのエラーでした。

エラーは誰でも起こりえるので、この点は責められるいわれはありません。

・・・しかし!

長嶋一茂さんは当時についてこう語っていました。

守備は適当にやっていました

ここまで褒めちぎった言葉を返していただきたく存じますw

こういった態度は当然ながらチームメイトも感じていたようで、誰一人として長嶋一茂さんを励ましてはくれなかったそうです(笑)

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長嶋一茂の成績・大学時代が凄い!

続いて、長嶋一茂さんの大学時代を見ていきましょう。

高校卒業後は、父・長嶋茂雄さんと同じ立教大学へと進学します。

高校時代に野球に打ち込んだ(守備は適当でしたがw)成果もあり、1年生で早くもレギュラーに抜擢されます。

大学4年間で残した通算成績は以下の通りです。

101試合出場
382打数86安打
打率 .225
打点 54本
ホームラン数 11本

打率は少々低いかな?という印象をでしょうか?

しかし、最上級生となった大学4年生の頃は大活躍を見せます!

ドラフト1位の名に恥じない、長嶋一茂の大学時代の成績!

1987年の春季リーグでは4番でキャプテンを務め、.340という高打率を残しました。

同じく1987年の秋季リーグにおいても、目を見張る活躍。

なんとリーグの打点王に輝き(16打点)、ホームランも4本放っています。

これらの活躍が認められ、春秋共にベストナインに選ばれました。

春季リーグにおいては、満票でのベストナイン選出でした。

そしてそして、大学の日本代表に選出されました。

今で言うところの『侍ジャパン』です。

この後、ドラフト会議でヤクルトスワローズから一位指名を受け、プロ野球の世界へと進むことになりました。

テレビではあんな感じ(失礼!)ですが、凄い選手だったんですね。

大学時代の長嶋一茂伝説が草www

大学時代でも、長嶋一茂さんには驚きのエピソードがあります。

エピソードというより、もはや伝説とでも言えるのかもしれません。

大学時代の伝説1~ケツバットへし折り~

当時から大物感じを出していたのでしょうか?

先輩や監督からは『生意気』と映ってしまうこともあったようです。

野球部の人がそんな年下にやることといえば・・・『ケツバット』。

しかし、長嶋一茂さんは大物でした。

ケツバットの瞬間にヒップを突き出し・・・何とバットをへし折ってしまったそうです!

何というケツ筋!

その光景を見た先輩や監督の驚く姿…目に浮かびますよねw

大学時代の伝説2~英単語で誤爆~

父・長嶋茂雄さんは流暢(?)な英語を話していましたが、息子はその才能を受け継いではいなかったようです。

大学時代、英語の講義中に『The』を『ザ』とは読みませんでした。

彼が読んだのはなんと・・・!?

『テヘ』

このことはテレビで暴露されたのですが、これについては『テヘとも読める!』と力でごり押ししていましたw

大学生と言えば大人ですから、この時点で『長嶋一茂・完全体』となっていたんですね。

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