この記事では、落合博満さんと星野仙一さんとの間に噂されていた『不仲説』の真相についてお伝えしています。

落合博満さんと星野仙一さんは不仲だ!…という具合の記事が

かつてスポーツ記事等で取り上げられていたそうです。

落合博満さんと星野仙一さん、中日ドラゴンズで選手と監督の立場で共に戦い

リーグ優勝を成し遂げた 言わば「戦友」です。

また、落合博満さんは4回、星野仙一は2回、中日ドラゴンズの監督として

リーグ優勝を果たしています。

そんな共通点のある二人に、何故不仲説があったのでしょうか?

真相についてお伝えします。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

スポンサーリンク

落合博満と星野仙一って、どんな野球人?

二人の不仲説はなぜあったのか?

…と、その前に落合博満と星野仙一についてご覧ください。

落合博満という野球人

落合博満さんと言えば、最初に思いつくのは「三冠王」のイメージでしょうか?

打率、打点、ホームランの主要タイトルを同時に獲得しました。

それも三度も!!!

世界のホームラン王・王貞治さんでさえ、三冠王に輝いたのは2度。

いかに凄いことかお分かりいただけるかと思います。

ちなみに、最後に三冠王を獲得したのは松中信彦さん。

平成で唯一の三冠王です。



また落合博満さんは、名選手でもありながら名監督でもあります。

中日ドラゴンズの監督として8年間も指揮を取り、4度のリーグ優勝を達成。

内、一度日本シリーズ制覇。

中日ドラゴンズが誕生して60年以上経過していますが、リーグ優勝回数は合計で9回です。

つまり、優勝回数の半数近くは落合博満監督時代によるものです。

選手時代の成績に負けず劣らず、本当に凄すぎます…!


※落合博満がこよなく愛する『ガンダム』
お得な視聴方は↓をクリックして下さい♪



その反面、とにかく勝ちに徹する「オレ流采配」は、圧倒的な成績を残すものの

物議を醸しだすこともありました。

バントを多用し、手堅く進塁を繰り返す…。

ガッチガチの継投策で堅実に逃げ切る…。

「野球が地味過ぎる」と言われることもあったみたいです。

 

星野仙一という野球人

星野仙一さんと言えば「闘将」のイメージでしょうか?

現役時代も、そして監督時代も特に巨人戦に激しい闘志を燃やして戦っていたそうです。

「打倒巨人!」…これが野球人・星野仙一の座右の銘だったのかも!?

そんな星野仙一さんの現役時代ですが、中日ドラゴンズの投手として活躍していました。

選手生活は14年、中日ドラゴンズ一筋でした。

先発投手として、またリリーフとしても活躍を見せました。

15勝以上が4回!2桁セーブ以上が2回!の成績を残しました。

投手として最大の栄誉である「沢村賞」を、1974年に獲得。

同年は初代最多セーブのタイトルにも輝きました。


現役を引退後、1987年に中日ドラゴンズの監督に就任。

1991年で一度は退任するも、1996年に再び復帰します。

そして2001年に退任するまで、中日ドラゴンズで合計11年間も監督を務めました。

二度のリーグ優勝、8度のAクラス入りを果たす等、星野仙一さんの率いる中日ドラゴンズは

常に優勝争いに絡んでくる「常勝球団」だったと言えると思います。

2001年に中日ドラゴンズを退任するも、翌年の2002年に阪神タイガースの監督に就任します。

2002年こそ4位に終わりますが、翌年の2003年にはリーグ優勝に輝きました。

…しかし、「健康上の理由」により、同年をもって阪神タイガースの監督を退任しました。

阪神タイガースの監督を退任してから8年後の2011年、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任します。

2011年は、東日本大震災の年でした。

星野仙一さんは東北の人たちに元気を与えるんだ!と並々ならぬ決意だったと思います。

しかし現実は厳しく、2011年は5位、2012年は4位と低迷してしまいます。

ですが監督就任後の3年目に、リーグ優勝を達成。

そして日本シリーズの相手は、星野仙一さんの宿敵である読売ジャイアンツでした。

頂上決戦は第七戦目まで縺れたものの、星野仙一さん率いる楽天は4勝3負で巨人を下し、日本シリーズを制覇!

自身初の日本一、そして楽天初の日本一となりました。

このとき星野仙一さんは66歳でしたが、この年齢でのリーグ優勝と日本一はプロ野球最年長優勝記録でした。

あのミスタープロ野球・長嶋茂雄さんの記録を見事の更新してみせました。



リーグ連覇が期待された翌年の2014年でしたが最下位に低迷し、監督を退任することになります。

3球団を渡り歩き、全ての球団で優勝を達成した名監督でした。

 

スポンサーリンク

これが原因で、落合博満と星野仙一に不仲説が!?

なぜ二人に不仲説が存在したのでしょうか?

その理由は、二人の野球観が違かったからでは?と言われています。



落合博満さんは学生時代、野球部の先輩から壮絶な「しごき」を受けていたそうです。

強豪校等は「しごき」によって強くなることはあると思いますが、

落合博満さんはそんな先輩のやり方に嫌気が差していたそうです。

一方、星野仙一さんの指導法は落合博満さんの嫌う「しごき」そのもの。

選手を育成するためなら、鉄拳制裁も辞さない…そんな指導者でした。



両者の考えは完全に真逆ですよね。

事実はどうあれ、これでは不仲説が起こってしまいそうな環境だと思います^^;

 

スポンサーリンク

実際、不仲説は本当だったのか?

では、両者は本当に不仲だったのでしょうか?

はじめにお伝えしておきたいのですが、当の二人は不仲を否定しています!

それを踏まえた上で、記事を読んでいただければと思います。



事の発端は1989年(中日ドラゴンズが優勝した翌年)。

連覇を目指した星野仙一監督は、シーズンオフにもかかわらずノルマを選手全体に課しました。

そのノルマとは・・・。

「太ってたら罰金なっっっ」



Σ(・ω・ノ)ノ!

ちょっとポップに言い過ぎましたがwww

ベストの体重を越えていたら罰金刑に処す!という厳しいものでした。

これに対して落合博満さんは、インタビューを受けた記者に対してポロリと話してしまいます。

落合博満「体重制限?怪我したらどうするの?シーズンの結果を見てほしい」

この発言は星野監督を批判したものと捉えられました。

このことを知った星野監督は、このように発言したそうです。

星野仙一「なんで記者に不満を言うの?先にスタッフに言えば!?」

Σ(・ω・ノ)ノ! Σ(・ω・ノ)ノ!

このことに一番腹を立てたのは、星野監督ではなく球団代表でした。

落合博満さんを伴い、星野仙一さん宅に行き謝罪させたそうです。

後に球団代表は、落合博満さんに罰を与えます。

球団代表「罰金一千万円な!」

Σ(・ω・ノ)ノ! Σ(・ω・ノ)ノ! Σ(・ω・ノ)ノ!

・・・と、これが不仲説が起こったきっかけとされています。


読売ジャイアンツと横浜ベイスターズで活躍した仁志敏久さんは、番組出演時に

「星野さんは落合さんが嫌いだが、実力者だから使っていた」と暴露したそうです!



また、長嶋一茂さんも以前、テレビで二人の不仲説を暴露していたとか…。

そして不仲説に対して「誰もが知ってること」という具合に話していました。

現場の人間の言うことですからね^^;真実っぽく感じてしまいます。

両者にいざこざがあったことは事実のようですね。

不仲な時期があったことは、どうやら嘘ではないのかな?と思います。

ですが先ほどお伝えしたとおり、当の二人は不仲を否定していますので

ご本人たちの意見を信じるしかないようですね。

 

スポンサーリンク

落合博満と星野仙一、不仲説の真相は…?:まとめ

落合博満さんと星野仙一さんにあった不仲説を中心にお伝えしました。

両者ともにプロ野球選手として、更には監督としても本当に活躍しましたよね。

二人の活躍は、所属した球団のみならず、プロ野球全体を盛り上げてくれた!と私は思います。

ここまで個性的な野球人って、そうはいないと思います。

両者の強すぎた構成も、不仲説が起こった原因の一つかも?と私は思いました。


野球犬

最後までお読み頂き、有難うございました!

下記の【あわせて読みたい記事】に関連記事があります。

ぜひ読んでみて下さい!

スポンサーリンク