今回は、松井秀喜さんの『年齢』をテーマとした内容をお伝え致します。

松井秀喜さんの成績を年齢別に見てみると、何気に大記録を達成していることが分かりました。

通算成績や年ごとの成績だけでは見えてこない、2つの大記録について見てみましょう。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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松井秀喜の年齢別記録(22歳)

強豪校の野球部で1年生の時から4番を任された選手は何人もいます。

PL学園高校の清原和博選手、同じくPL学園高校の福留孝介選手、大阪桐蔭高校の中田翔選手、横浜高校の筒香嘉智選手など、誰でも名前を知っているようなすごい選手がたくさんいます。

もちろん松井秀喜選手も強豪星稜高校で1年生の時から4番を任されていました。

 

高校生は成長期ですから年齢が1つ違えば全く別人のようになります。

16歳から見たら18歳は本当に大人に見えます。

自分の事を思い返してみても高校に入ったばかりの時に最上級生に逆らえる気がしなかったでしょう?

その中で4番に割って入るのですからいかに特別な存在だったかわかりますね。

 

年齢に関する記録では、22歳の時に年齢別のシーズン本塁打38本と言う記録を持っています。

これはジャイアンツの大先輩王貞治さんと同じタイ記録です。

王さんはこの後、23歳で40本、24歳で55本と急激にホームラン数を伸ばしていきました。

当時の松井選手はそれを超す勢いを期待されており、背番号の55本越えは時間の問題と思われていました。

 

さすがにそこまでの成績は残せませんでしたが、高値で安定した成績でジャイアンツの主軸を打ち続けました。

それでも当時の私は本気で生涯通算本塁打1000本を達成できると思っていました。

メジャーに移籍してからはチームの勝利を優先してホームランを狙いすぎない打撃になったためホームランの数を減らしましたが、名門ヤンキースでも主軸を打ち続けてワールドチャンピオンに導いたわけですから『世界の松井秀喜』になったと言っていいでしょう。

 

ヤンキースファンには今でも愛されていますからね。
このままヤンキースがワールドチャンピオンになれない年が続くと、松井秀喜さんはファンの記憶に残り続けるでしょうが、そのうちゴジラの呪いとか言われるんじゃないかと余計な心配までしてしまいます。

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松井秀喜の年齢別記録(19歳)

松井秀喜選手は19歳、20歳という若い年齢で記録を持っています。

 

松井秀喜選手19歳、高卒ルーキー1年目で57試合のみの出場でありながら11本塁打を放っています。

高卒ルーキー1年目で11本塁打は、セ・リーグでは第1位の記録です。

セ・リーグでは2桁本塁打も唯一です。

パ・リーグを含めると第1位は清原和博さんの31本です。

いかに飛び抜けた怪物だったかがよくわかりますね。

 

その清原和博選手は1997年からジャイアンツに移籍しました。

セ・リーグとパ・リーグの高卒ルーキー1年目の本塁打記録を持つ2人が一緒になったのは何かの運命かもしれません。

3番松井選手、4番清原選手でMK砲と呼ばれました。

さらに翌1998年には高橋由伸選手が加わりMKT砲となりました。

なんという贅沢なクリーンナップでしょうか。

 

清原和博選手は遥かに年齢の若い松井秀喜選手を認めています。

清原選手は松井選手について

「彼は勝っていても負けていても試合状況で変わることなく1年間全ての打席に同じ集中力で立つ。あれはまねできない。」

と評価していました。

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清原和博選手はお祭り男と言われるほど目立つ選手でした。

オールスターゲームや日本シリーズ、チャンスでの打席では無類の勝負強さを発揮しました。

もちろんそれは素晴らしい才能です。

しかし逆に大差で負けていてランナーなしなどという打席ではあまり怖さがありませんでした。

他には新庄剛志選手もそういう感じでしたね。

 

対して松井秀喜選手は年齢の割にやたら落ち着き払っていて、どんな打席でも常にホームランを打ちそうな雰囲気を出していました。

負けている試合で逆転のきっかけになる一打を放てるのはこういう選手だと思います。

若い年齢ではもう一つ、1994年のオールスターゲームでセ・リーグの4番を任されています。

20歳1か月でのオールスターゲームの4番を務めたのは最年少記録です。

ジャイアンツでもまだ4番を打ったことはありませんでしたが、当時のセ・リーグ野村克也監督が他の強打者を差し置いて抜擢しました。

日本の4番を育てようという意図があったのではないでしょうか。

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松井秀喜の元同僚・落合博満も年齢別記録保持者

松井秀喜選手プロ2年目の1994年、伝説の大打者落合博満選手がジャイアンツに移籍してきました。

「長嶋監督を胴上げするために来た。」

と自分にプレッシャーをかけるような発言もしていましたがその言葉通り、ジャイアンツに在籍した3年間、4番に座り続けて2度のリーグ優勝と1度の日本一に輝きました。

特にジャイアンツ最終年となった1996年は43歳という年齢にもかかわらず21本のホームランを放ち、リーグ優勝に貢献しました。

この43歳という年齢で21本のホームランというのは年齢別のシーズン本塁打記録です。

44歳以上の記録は2桁に届いていませんから、2桁本塁打の最高年齢というおまけつきです。

落合博満選手がジャイアンツにいた3年間は松井秀喜選手のプロ2~4年目に当たります。

この間、3番松井選手、4番落合選手でクリーンナップを組んでいました。

打順は一つ前ですが、松井秀喜選手は落合博満選手の背中を見て、だた4番目の打者ではないチームの4番打者というものを学びました。

松井秀喜選手は落合博満選手について、

「あの人は4番らしかった。雰囲気を持っていた。自分の世界があったんだ。チームが苦しい時に矢面に立っていた。いわば風除け。それが信頼感にもつながった。」

と言っています。

ただヒットやホームランを打つだけでなく、背中でチームを引っ張り、信頼される柱としてチームを勝利に導く4番打者の姿というものを学びました。

 

松井秀喜選手は長嶋監督の指導のもとジャイアンツの4番というものを叩きこまれたはずです。

それに加えて原辰徳選手、落合博満選手、清原和博選手といった錚々たるメンバーの姿を見て学び、ついには誰もが認めるジャイアンツ不動の4番バッターへと成長したのです。

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松井秀喜の『年齢』をテーマに調査したら、大記録を発見!:まとめ

若い頃の松井秀喜選手は身体の大きさと強さで規格外の結果を残しましたが、プロ入りしてたくさんの先輩の後姿を見て、持ち前の努力の才能を発揮しながらカメのように成長し、ついには日本を代表する4番打者に成長しました。

 

偉大な名選手たちから学んだ大切な「ゆずりは」を絶えることなくぜひ後継に伝えていって欲しいものです。

 

野球犬

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