この記事では、大谷翔平選手の背番号に関する内容をお伝えしています。
メジャーリーグに移籍し、現在は背番号『17』を付けて大活躍中の大谷翔平選手。
そんな大谷翔平ですが、プロ入り後に初めて付けた背番号は『11』でした。
この背番号に決めたのは、ある理由がありました。
この記事をお読み頂くことで、
・日ハムという球団にとっての『背番号11』は…
・大谷翔平選手にとって、背番号11は特別な意味があった
・メジャー移籍後に背番号を17にした理由
等について知ることができます。
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背番号11、大谷翔平の前は?
急に日ハム時代のダルビッシュ投手を描いてみてモタ。ロサモタ。 pic.twitter.com/HIjhBRICBR
— たてなか じゅんぺい (@junpei58) September 8, 2019
メジャーリーグで大活躍を続けている大谷翔平選手。
そんな大谷翔平選手ですが、現在所属しているロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムでは、背番号17をつけています。
一方で、プロ入り時に入団した北海道日本ハムファイターズでは、背番号11をつけていました。
大谷翔平選手が当時背番号11をつけていたのは、過去に北海道日本ハムファイターズで背番号11をつけていた選手が関係しているようです。
そこで、大谷翔平選手より前に背番号11をつけていた選手を調べてみました。
以前に日本ハムで背番号11をつけていた選手としては、大島康徳選手やダルビッシュ有選手が挙げられます。
ダルビッシュ有選手は、大谷翔平選手が入団する前に背番号11をつけていましたよね。
大島康徳選手は1971年から1994年の24年間、打者として活躍した名選手です。
年度別の成績としては、1979年に最多安打、1983年に本塁打王に輝いています。
彼の通算成績としては2638試合に出場し、2204安打、382本塁打を記録しており、日本球界での出場試合数は史上6位、安打数は史上19位となっています。
日本ハムに所属していたのは1988年から1994年の7年間でしたが、ベテランながら打線の主軸を担っており、名選手だったといえます。
現在メジャーリーグのシカゴ・カブスに所属しているダルビッシュ有選手は、2005年から2011年の7年間、日本ハムに所属していました。
日本ハムに所属していた7年間には球界を代表するエースとして君臨し、2007年には沢村賞を受賞しています。
タイトルとしては最優秀防御率を2度、最多奪三振を3度記録しており、7年間の通算防御率は1.99と驚異的な記録を残しました。
これらのことを考えると、日本ハムにとって背番号11は特別な背番号となっているといえます。
大谷翔平にとって背番号11は…。
大谷翔平、ダルビッシュ有、田中将大←二人で飯に行くなら https://t.co/iqevBBtUL0 pic.twitter.com/kPfkKmdaxE
— プロ野球速報 (@MeigenSports7) February 7, 2020
日本ハムでは背番号11は特別な背番号となっており、大谷翔平選手の前はダルビッシュ有選手がつけていました。
続きまして、大谷翔平選手とダルビッシュ有選手の関係について見ていきましょう。
大谷翔平選手はダルビッシュ有選手に対する強い憧れを持っており、これは様々な箇所に表れています。
大谷翔平選手がダルビッシュ有選手の投球フォームを参考にしているということです。
その背景には、2人の体格が非常に似ているということがあります。
大谷翔平選手の体格は193㎝、95㎏であるのに対し、ダルビッシュ有選手の体格は196cm、100㎏であり、どちらも高身長でスマートな体格だといえます。
そのため、大谷翔平選手はダルビッシュ有選手の投球フォームを参考したのだと考えられます。
また、大谷翔平選手とダルビッシュ有選手の間には交流があり、現在でも合同でトレーニングをする仲だそうです。
→関連記事: 大谷翔平の筋肉画像が凄すぎ…上半身とかムキムキ!
以上のことから、日本ハムに入団した際に背番号11を背負うというのは、大谷翔平選手にとって意味のあることだったといえます。
メジャー移籍後の大谷翔平の背番号は17
ビリー・ピアース、ジム・フレゴシのWikipedia日本語版作成しました。 pic.twitter.com/eIjuFgYKXM
— Stealth_t (タク) (@Kid_Of_W_Bucs) 2016年9月30日
大谷翔平選手が背番号11をつけたことは、大きな意味のあることでしたね!
ダルビッシュ有選手を含め、メジャーリーグに移籍した投手は、日本球界時代と同じ背番号をつける例が多く見られます。
しかし、大谷翔平選手はエンゼルスでは背番号11ではなく背番号17をつけています。
その理由は、背番号11がエンゼルスでは永久欠番となっているからです。
エンゼルスで背番号11をつけていたのはジム・フレゴシ選手という内野手で、1961年から1971年の11年間をエンゼルスでプレーし、引退後の1978年から1981年にはエンゼルスの監督を務めています。
また、エンゼルスでプレーした11年間では1429試合に出場して1408安打を記録しており、これらはそれぞれ球団史上4位、5位となっています。
守備もうまく、1967年には遊撃手としてゴールドグラブ賞を受賞しています。
ジム・フレゴシ選手の最大の功績は、「エンゼルスで最初の看板選手」ということだと考えられます。
エンゼルスが球団拡張により誕生したのは1961年であり、ジム・フレゴシ選手はその年にデビューしています。
その後、遊撃手のレギュラーに定着し、11年間プレーしたジム・フレゴシ選手はエンゼルスにとって非常に重要な選手であり、この功績により永久欠番になったようです。
だから、大谷翔平選手はエンゼルスに入団した際に背番号を11ではなく17としたのですね。
大谷翔平が背番号11だった理由は?:まとめ
今回の記事では、大谷翔平選手の背番号についてお伝えしました。
まず、日本ハム時代につけていた背番号11は、ダルビッシュ有選手などがつけていた特別な背番号であり、大谷翔平選手はダルビッシュ有選手への憧れから、背番号11をつけていたことが分かりました。
また、エンゼルスにて背番号を11ではなく17としていたのは、11がエンゼルスの永久欠番であり、これはジム・フレゴシ選手の功績によるものだということが分かりました。
このように、ある選手や球団の背番号の歴史を振り返ることは、非常に面白いことだと思います。
そして、今後の大谷翔平選手の活躍により、背番号17が新たにエンゼルスの永久欠番になる可能性を感じ、非常に楽しみに思いました。
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