今回は、松井秀喜さんが長年付けていた背番号55について詳しくお伝え致します。
多くのスター選手は一桁の背番号を好む傾向にあります。
そんな中、松井秀喜さんがあえて背番号55を選択した理由や、メジャー移籍後に変わっていった背番号についても見ていきましょう。
この記事をお読み頂くことで、
・松井秀喜がジャイアンツに入団後、背番号55を選択した理由など
・ヤンキース移籍後も55を背負った時のエピソード
・移籍後に背番号を31とした理由
等について知ることができます。
目次
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松井秀喜が背番号55を選んだ理由
55👕松井秀喜#お前らプロ野球の最初の推し誰だよ pic.twitter.com/6eOvJTzlca
— kaorun🐰 (@run12020508) 2019年3月8日
星稜高校時代はサードを守っていましたので背番号は5番でした。
幼いころから掛布選手にあこがれ、慣れない左打ちにまで挑戦したのですから本当は背番号31を付けたかったに違いありません。
もし阪神に入団していたら31番を付け、守備位置もサードのままだったかもしれませんね。
しかし現実には巨人で、しかもご存知のように松井秀喜選手は小さい頃から大人です。
そんなわがままは言いません。
シーズン55本塁打を期待される
一応星稜高校時代の5番を希望したと言われていますが、当時巨人の5番は選手会長でもあった岡崎郁選手でした。
いくら期待のビッグルーキーとは言え高卒の若造に背番号を譲ってもらえるわけがありません。
希望の5を2つ並べた55番が空いており、王貞治さんのシーズン本塁打記録が55本ということもあって、ホームランバッターとしてそれを目指そうということで55番が与えられました。
そういえば松井秀喜選手が大きく注目されたのは甲子園での5打席連続敬遠です。
松井選手は5という数字に縁があるのかもしれませんね。
シーズン50本塁打
その後ゆっくりではありますが地道に努力し、巨人軍不動の4番打者に成長します。
1998、2000、2002年と3度の本塁打王に輝きますが、シーズン本塁打55本に届いたことはついに一度もありませんでした。
それでもNPB最終年となる2002年には50本の大台に乗せました。
このシーズン50本塁打以上は8人(2002年当時)しか達成していない素晴らしい記録なのです。
小鶴誠、野村克也、王貞治、バース、落合博満、ローズ、カブレラ、そして松井秀喜です。
すごいメンツですね。
背番号55は強打者の証
松井秀喜選手が順当に活躍を続けると、いよいよ背番号55は松井秀喜選手と融合してきます。
引退してからもう7年経ちますが、今でも背番号55と言えば松井秀喜選手ですからね。
そしてどの球団も背番号55と言えば強打者のイメージです。
2019年現在では広島松山竜平選手、ヤクルト村上宗隆選手、中日福田永将選手、阪神陽川尚将選手、オリックスT-岡田選手、西武秋山翔吾選手、ロッテ細川亨選手、日ハム難波侑平選手、ソフトバンク野村大樹選手です。
左打ち外野手は3人だけですが、いずれも長打を期待されています。
最近ではイメージのない番号を付けて自分の番号にするぞ、という人も多いようですが、55番をもらった選手は当分の間長打を期待されると思います。
そして期待外れだと剥奪されてしまいます。
仕方ないですね。
名門・ヤンキースでも松井秀喜は『背番号55』
ヤンキース3A #加藤豪将 選手が今日の試合で先制となる5号ソロHRを放ちました!!けが人が続出している #ヤンキース ですがチームの希望となるのでしょうか!好調を維持できればメジャー昇格は目前!!#松井秀喜 さんのアドバイスでこれからもHR量産だ☆彡#セレクション新宿 #MLB pic.twitter.com/1U6i4LBf9u
— セレクション MLBアカウント (@selection_mlb55) 2019年4月24日
FA権を行使してメジャーに挑戦した松井秀喜選手は移籍先のヤンキースでも引き続き背番号55を背負います。
前年まで55番を付けていた選手が移籍したため都合よく空いていました。
こういう運の良さって大事かもしれませんね。
→関連記事: 松井秀喜、現在の仕事は?住まいは?深堀調査してみた。
ここでも地道に努力を重ねて結果を残していきました。
日本の時とは違い、周りにも化け物が居並ぶ中、自分の仕事を打点を稼ぐことに特化して中距離ヒッターにシフトチェンジ、名門ヤンキースでも主軸を打ち続けました。
松井秀喜は、今でもヤンキースファンの心のヒーロー
4年目には骨折に見舞われる不運もありましたが、我慢して努力を続けて7年目にはついにワールドシリーズチャンピオンになることができました。
自身がMVPというおまけつきです。
あれ以来ヤンキースがワールドシリーズに出場できていないせいもあって、未だにヤンキースファンの記憶の中では松井秀喜選手はヒーローです。
2009年にワールドシリーズMVPの活躍をしたにもかかわらず契約最終年ということでFAになってしまいました。
このまま何年もヤンキースがワールドチャンピオンになれないとゴジラの呪いとか言われます。
それでもヤンキースは一定の敬意を表して2010年の1年間、55番を名誉番号として欠番扱いにしました。
ヤンキースは引退セレモニーのために1日契約してくれたり、現在は特別アドバイザーに任命していたりするのでかなり感謝はしているようです。
ヤンキースからFAとなった後、エンゼルスに移籍しますがここでも55番を譲ってもらってつけることができました。
1年でアスレチックスに移籍しますが、ここでも55番を付けることができました。
松井秀喜、背番号が35へ
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メジャー最終年となった2012年はレイズに移籍します。
ここではすでに55番は別の選手が付けていたため、空いていた背番号の中から35番を選びました。
元々自分の番号と思っていた5番を残し、また恩師である長嶋茂雄さんの3番を組み合わせて35番としたそうです。
引退時のインタビューで「一番の思い出は長嶋監督と二人で素振りした時間」と言っているほど大切な恩人です。
またヤンキース時代のチームメイトで、けがに悩まされながらも39歳で20勝という活躍をしたマイク・ムシーナ選手にあやかったとも言います。
後に当時、55番を譲ってもいいという話があったそうですが断ったと言っていました。
理由はわかりませんが、当時の松井秀喜選手は結果が出ていませんでしたから、心の中で何かを変えて結果を出したいという気持ちがあったのではないかと思います。
しかしその願いもむなしく戦力外通告を受け、契約先が見つからず引退となります。
松井秀喜と【背番号55】について勝手に語る:まとめ
長く背番号55を付けて活躍してきた松井秀喜選手ですから、55番と言えば松井選手というくらい顔と背番号が一つになっています。
王貞治の1番、長嶋茂雄の3番、イチローの51番、松井秀喜の55番。
野球好きには当たり前ですが、野球を知らない人でも知っていそうな背番号となるとこれくらいではないでしょうか。
引退した後でも「55番と言えば松井秀喜」そう言ってもらえるような活躍ができた松井選手は幸せな野球人生だと思うのです。
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