今回は、松井秀喜さんが長年付けていた背番号55について詳しくお伝え致します。

多くのスター選手は一桁の背番号を好む傾向にあります。

そんな中、松井秀喜さんがあえて背番号55を選択した理由や、メジャー移籍後に変わっていった背番号についても見ていきましょう。

 

この記事をお読み頂くことで、

・松井秀喜がジャイアンツに入団後、背番号55を選択した理由など

・ヤンキース移籍後も55を背負った時のエピソード

・移籍後に背番号を31とした理由

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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松井秀喜が背番号55を選んだ理由

星稜高校時代はサードを守っていましたので背番号は5番でした。

幼いころから掛布選手にあこがれ、慣れない左打ちにまで挑戦したのですから本当は背番号31を付けたかったに違いありません。

もし阪神に入団していたら31番を付け、守備位置もサードのままだったかもしれませんね。

しかし現実には巨人で、しかもご存知のように松井秀喜選手は小さい頃から大人です。

そんなわがままは言いません。

シーズン55本塁打を期待される

一応星稜高校時代の5番を希望したと言われていますが、当時巨人の5番は選手会長でもあった岡崎郁選手でした。

いくら期待のビッグルーキーとは言え高卒の若造に背番号を譲ってもらえるわけがありません。

希望の5を2つ並べた55番が空いており、王貞治さんのシーズン本塁打記録が55本ということもあって、ホームランバッターとしてそれを目指そうということで55番が与えられました。

そういえば松井秀喜選手が大きく注目されたのは甲子園での5打席連続敬遠です。

松井選手は5という数字に縁があるのかもしれませんね。

シーズン50本塁打

その後ゆっくりではありますが地道に努力し、巨人軍不動の4番打者に成長します。

1998、2000、2002年と3度の本塁打王に輝きますが、シーズン本塁打55本に届いたことはついに一度もありませんでした。

それでもNPB最終年となる2002年には50本の大台に乗せました。

 

このシーズン50本塁打以上は8人(2002年当時)しか達成していない素晴らしい記録なのです。

小鶴誠、野村克也、王貞治、バース、落合博満、ローズ、カブレラ、そして松井秀喜です。

すごいメンツですね。

背番号55は強打者の証

松井秀喜選手が順当に活躍を続けると、いよいよ背番号55は松井秀喜選手と融合してきます。

引退してからもう7年経ちますが、今でも背番号55と言えば松井秀喜選手ですからね。

そしてどの球団も背番号55と言えば強打者のイメージです。

2019年現在では広島松山竜平選手、ヤクルト村上宗隆選手、中日福田永将選手、阪神陽川尚将選手、オリックスT-岡田選手、西武秋山翔吾選手、ロッテ細川亨選手、日ハム難波侑平選手、ソフトバンク野村大樹選手です。

左打ち外野手は3人だけですが、いずれも長打を期待されています

最近ではイメージのない番号を付けて自分の番号にするぞ、という人も多いようですが、55番をもらった選手は当分の間長打を期待されると思います。

そして期待外れだと剥奪されてしまいます

仕方ないですね。

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名門・ヤンキースでも松井秀喜は『背番号55』

FA権を行使してメジャーに挑戦した松井秀喜選手は移籍先のヤンキースでも引き続き背番号55を背負います。

前年まで55番を付けていた選手が移籍したため都合よく空いていました。

こういう運の良さって大事かもしれませんね。

 

ここでも地道に努力を重ねて結果を残していきました。

日本の時とは違い、周りにも化け物が居並ぶ中、自分の仕事を打点を稼ぐことに特化して中距離ヒッターにシフトチェンジ、名門ヤンキースでも主軸を打ち続けました。

松井秀喜は、今でもヤンキースファンの心のヒーロー

4年目には骨折に見舞われる不運もありましたが、我慢して努力を続けて7年目にはついにワールドシリーズチャンピオンになることができました。

自身がMVPというおまけつきです。

あれ以来ヤンキースがワールドシリーズに出場できていないせいもあって、未だにヤンキースファンの記憶の中では松井秀喜選手はヒーローです。

2009年にワールドシリーズMVPの活躍をしたにもかかわらず契約最終年ということでFAになってしまいました。

 

このまま何年もヤンキースがワールドチャンピオンになれないとゴジラの呪いとか言われます。

それでもヤンキースは一定の敬意を表して2010年の1年間、55番を名誉番号として欠番扱いにしました。

ヤンキースは引退セレモニーのために1日契約してくれたり、現在は特別アドバイザーに任命していたりするのでかなり感謝はしているようです

 

ヤンキースからFAとなった後、エンゼルスに移籍しますがここでも55番を譲ってもらってつけることができました。

1年でアスレチックスに移籍しますが、ここでも55番を付けることができました。

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