工藤公康の背番号を調査しながら、この大投手の軌跡を追いかけたら…凄い勝ち組感が

元野球選手
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この記事では工藤公康監督の背番号の変遷や、背番号にまつわる涙なしに語れないストーリーが紹介されています。

 

工藤公康監督の

現役時代の背番号を覚えているでしょうか。

 

監督時代につけている81の背番号ではなく

選手時代の背番号には、どうやら工藤公康監督自身かなりのこだわりがあったようです。

 

しかし現役最後の年にこだわりの背番号を変更していました。

一体どんな理由からでしょうか。

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工藤公康は背番号に深くこだわり続けていた

 

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背番号とは野球選手にとって

ある意味「自分自身」を表す数字です。

 

背番号をつけるスポーツは多くありますが

野球はその中でもトップクラスに、背番号にこだわりのある選手が多いスポーツですよね。

 

アマチュアスポーツでは

おもに一桁の背番号を目指し、その番号を貰った選手はそれを死守したがります。

 

プロ野球になると自由に背番号をつけられますが、やはりその背番号が

球団にとってどんな意味があるのか選手にとってどんな意味があるのかと考えを巡らせます。

 

もちろん工藤公康監督も

自身の背番号にはこだわっていた選手です。

 

というか、現役中

ずっと背番号にはこだわりを持っており、他の選手よりもそのこだわりは群を抜いていました。

 

工藤公康監督が

こだわり続けた背番号の数字は「47」。

 

通算29年という長いプロ野球選手時代

47の背番号以外の数字をつけたのは、3年間しかありません。

 

逆に言うと47という背番号を

26年間こだわり、背負い続けたのです。

 

工藤公康監督の背番号の変遷やこだわりを見ると

もはや勝ち組とも思えるほどの、「工藤公康監督」自身の野球人生が見えてきます…

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工藤公康がこだわった47は左投手の代名詞

工藤公康監督と言えば

西武、ダイエー、巨人、横浜、西武(2度目)と多くの球団を渡り歩いた選手です。

 

大抵球団を移籍した際は

よっぽど迎え入れる球団がお膳立てしていない限り、こだわりの背番号は与えません。

 

工藤公康監督が47の背番号でなかったのは

西武からダイエーに移籍した1995年からの2年間二度目の西武の1年間だけです。

 

ダイエーの2年間は背番号は21

西武の1年間は55でした。

 

ダイエーに対しては、要請を何度も出して47番にしてもらうほどのこだわりです。

何なら、21番の背番号は「違和感があった」とまで語っています。

 

そもそも工藤公康監督のプロ入団の際に

西武は背番号17を用意していました。

 

しかし、工藤公康監督の父親は

「甲子園に出てから慢心しているから、社会勉強させる」と指名を拒否。

 

工藤公康監督自身も納得し、就職試験を受けていたほどです。

 

それでも西武の強行指名により工藤公康監督は考えを変え、プロ入りしますが

さすがに周りの理解をただで得ることはできず、背番号は47に降格されたのです。

 

しかしこの47番を元に

工藤公康監督は西武で大活躍。

 

工藤公康監督自身も47の背番号に愛着がわいたのでしょう

その背番号をダイエー時代でも押し通します。

 

巨人に移籍する際も

背番号は47を希望。

 

徹底したこだわりっぷりです。

 

そうしていくうちに、47という背番号=工藤公康監督

さらに言うならば、47の番号は「左投手」の代名詞ともなりました。

 

これは工藤公康監督移籍の後のダイエーに入団した、杉内俊哉選手にも同じことがいえます。

 

杉内俊哉選手はダイエーに入団するとき

47の背番号が与えられました。

 

確かにコントロールの良さ、決して速くはないが伸びのあるストレート

そして両選手とも「カーブが大きく曲がる」という点で、非常に酷似しています。

 

また、杉内俊哉選手が

工藤公康監督を憧れの投手としていたことも相まっていました。

 

こうして47の背番号は左投手の代名詞となったのです。

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工藤公康が背番号47をやめた意味に涙

 

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工藤公康監督は

現役時代常に47の背番号にこだわり続けたことは、先述した通りです。

 

ダイエーでも21に違和感を覚え、47の背番号に変えるよう要請したほどですが

西武(2度目)時代の55は工藤公康監督にとって、どんな理由があったのでしょう。

 

実はこの背番号55には

かつてダイエー時代に交流のあった藤井将雄選手が関わっています。

 

この藤井将雄選手は

30歳という若さで肺がんによって亡くなった選手です。

 

ダイエー初日本一の立役者で

病気でありながらもマウンドに立ち続けた勇姿は未だにホークスで語り継がれています。

 

そんな藤井将雄選手の背番号は15番

 

工藤公康監督は

その「5」のつながりを意識して、背番号55をつけたそうです。

 

彼の分も野球を続けていこう

こう思った工藤公康監督は

背番号55でプロ野球生活の最後の年を過ごしたのでした。

 

また、この時子供たちからも

「イケイケ、ゴーゴー」と言われていたし、誕生日も5月5日だから納得したとも語っています。

 

総じて見ると、やはり背番号には

選手一人ひとりの想いや、考え、プライドが乗り移っているのだと感じますね。

 

プロの選手として勝ち組プロ生活を歩む間は、47の背番号にこだわり続けた工藤公康監督。

 

しかし、プロの最後の年は

かつてのチームメイトを思って、初めての背番号にも応じる。

 

なんとも、感慨深い話です。

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工藤公康の背番号を調査しながら、この大投手の軌跡を追いかけたら…凄い勝ち組感が:まとめ

工藤公康監督は、現役時代のほとんどを47の背番号で過ごしてきました。29年間のうち、47番でなかったのはたった3年間しかありません。
工藤公康監督が背番号47にこだわりを持ち続けた結果、プロ野球界では背番号47=左投手のイメージが定着しています。
工藤公康監督は、現役の最後の年を背番号55で過ごしました。こだわりを捨てたのは、かつてのチームメイトの藤井将雄選手を思ってのことでした。

以上の内容でお送りしました。

 

工藤公康監督の55番への背番号変更は、すごく感慨深いものを感じます。

こだわり続けてきた背番号47番でしたが、それをなしにしてでも、元チームメイトを思う心に、現在のホークスの強さの原点があるのかもしれません。

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