工藤公康の巨人時代を振り替えってみると、ここでも大活躍していたことがよく分かる

元野球選手
スポンサーリンク

この記事では、工藤公康監督の巨人時代の偉業や真の「優勝請負人」意味に触れています。

 

工藤公康監督といえば

西武、ダイエー、巨人、横浜、西武と渡り歩いたことは有名です。

 

その中でも巨人時代にスポットを当てると

「さすが優勝請負人」と思える偉業を達成していました。

 

これでこそ球界を代表する大投手。

仕事人とも言える、工藤公康監督の巨人時代の働きっぷりとはどんなものでしょうか。

プロ野球中継の配信をDAZN(ダゾーン)で実施中!

31日間の無料期間中でもスマホでゲームセットまで見放題です。

野球中継に没頭して、独り身ならではの『寂しい時間』を卒業しませんか?

→DAZNで寂しい時間から解放されてみる!

工藤公康の巨人時代は1年目から期待通りの仕事をしていた

工藤公康監督は

選手時代に大活躍した大投手です。

 

名物である大きく曲がるカーブと

正確なコントロール、ノビのあるストレートは簡単に真似できるものではありません。

 

さて、そんな工藤公康監督には様々な異名があります

有名どころは「優勝請負人」「ハマのおじさん」そして「ジャーニーマン」。

 

ジャーニーマンはあまり聞いたことがないと思いますが

これは「旅人」という意味で、工藤公康監督は4球団を渡り歩いた選手です。

 

その行く先々で「優勝請負人」と言われ続けました。

 

さて、そんな工藤公康監督がプロから初めて入団したのが西武ですが

皆さんは工藤公康監督といえばどこの球団のイメージがありますか?

 

工藤公康監督が西武からダイエーに移籍し、

そのダイエーを初のリーグ制覇に導きます。

 

このときはすでに5年目の1999年。

FA宣言をして、巨人に移籍することが決まりました。

 

巨人には「優勝請負人」として移籍しますが

さすがのジャーニーマン。巨人時代には他に物を言わせない活躍をしました。

 

何といっても

巨人時代の1年目にあたる2000年は、日本シリーズで巨人対ダイエーが対戦したからです。

 

監督同士が

長嶋さん対王さんという時点で、激熱なシリーズでしたね。

 

まだ交流戦もなかった時代ですから

他リーグに移籍し、前所属球団と対戦するとなれば日本シリーズの舞台でしかありえません。

 

この日本シリーズ第一戦に

巨人先発ピッチャーとして、工藤公康監督は登板しました。

 

結局ダイエーに投げ勝った工藤公康監督

さすが「優勝請負人」としての仕事を果たします。

 

もちろん、この年の日本シリーズは

巨人が優勝。

 

巨人時代1年目の工藤公康監督は

しっかり自分の役割と責任を果たすのでした。

スポンサーリンク

工藤公康は巨人時代3年目にさらなる仕事を果たす

 

この投稿をInstagramで見る

 

@papanyan80がシェアした投稿

工藤公康監督の

巨人時代3年目。

 

ここでもさらに

工藤公康監督は仕事をしました。

 

結論から言うと

この2003年は巨人が1年越しに日本シリーズ優勝。

 

この日本シリーズ第三戦で

工藤公康監督は登板し、勝利しました。

 

巨人時代2年目は

左肩の故障で、ほとんど出場できなかったため、工藤公康監督もほっとしたでしょう。

 

しかしこの巨人時代3年目の

日本シリーズの対戦相手は何とこれまた古巣の西武

 

そうです。

工藤公康監督は巨人時代の1年目にダイエー3年目に西武と対戦したのです。

 

運命というか何というか。

古巣相手の登板、しかも日本シリーズという大舞台。

 

移籍が毎年出るプロ野球界ではありますが

このようなめぐり合わせは、なかなかないでしょう。

 

当然相手チームは意識するだろうし

工藤公康監督自身も意識するでしょう。

 

実際こういうときの選手って

どのような心境になるのでしょうか?

 

それこそかつてのチームメイトなのわけですから

弱点や苦手なボール、コース、こういったものを全力で駆使するのでしょうね。

 

一方相手から見ても

工藤公康監督の弱点は分かっているはず。

 

それらを寄せ付けず

工藤公康監督は、ダイエー、西武に投げ勝ったのですから、さすが仕事人としか言えません。

 

巨人のファンとしても

こういった姿を見ると「巨人に移籍してくれて良かった」と思えますよね。

スポンサーリンク

工藤公康は巨人時代はキャリア後半として記録を立てまくっていた

工藤公康監督が

巨人に移籍したのは37歳の時でした。

 

37歳というとプロ野球界の中でもかなりキャリア後半で

成績を維持するのもやっとのことでしょう。

 

当然怪我も多くなります。

実際巨人時代には、何度も怪我に悩まされ、思うような成績を挙げられないこともありました。

 

しかしそれまでのキャリアで

積み立ててきた数字が記録になるのが、巨人時代の後半にあたります。

 

まずは2004年8月に200勝を達成しました。

200勝といえば、プロ野球名球会に入る通算勝利数の条件とも言われます。

 

これを達成したとき

41歳3か月だったため、200勝達成プロ野球最年長記録を更新しました。

 

さらにこの試合で、プロ初本塁打

41歳でのプロ初本塁打は、これまたプロ野球最年長記録です。

 

最年長記録を出せる

というのは、それだけ長くなってきている、という証拠でもありますね。

 

というか、投手をやっていながら

41歳でホームランを打てるということに驚きです。

 

一方打者としては84打席連続無安打

を記録しており、これもプロ野球最長の記録だそうです。

 

打てなさ過ぎてプロ野球最長ノーヒット記録…

まあ、投手ですもんね。もともとはDH制のパ・リーグ出身ですしね。

 

2005年シーズンでは、セ・リーグ最長完投勝利記録

そして最年長二桁勝利記録を記録します。

 

単純に言えば

とにかく巨人時代は「最年長、最長」という記録を打ち立てまくったということですね。

 

最後の二つの記録に関しては

2021年1月現在、山本昌選手に記録を塗り替えられましたが、さすが工藤公康監督です。

 

巨人時代に立てた記録の数々は

長い間日本の野球界のトップで投げ続けたおかげと言うべきでしょう。

スポンサーリンク

工藤公康の巨人時代を振り替えってみると、ここでも大活躍していたことがよく分かる:まとめ

工藤公康監督は、巨人時代1年目の日本シリーズで、前年所属していたダイエーと対戦し勝利しました。そのまま巨人の優勝に一役買ったことも、さすが優勝請負人と言えます。
工藤公康監督は、巨人時代3年目の日本シリーズで、以前所属していた西武と対戦し、ダイエー戦同様勝利を収めました。さすが仕事人。
工藤公康監督は、巨人時代に「最年長~」「最長~」の記録を数々打ち立てました。長くプロ野球界の第一線で投げてきた結果と言えます。

以上の内容でお送りしました。

 

工藤公康監督の巨人時代を調べると、やはり「優勝請負人」の言葉がよく似合います。

日本シリーズという大舞台で、以前所属していた球団に投げ勝つということは、まさに自チームを優勝させるためにいる選手であることがよく分かります。

【無料で31日間お試し】孤独な時間に別れを告げるチャンス!

動画配信サービス『DAZN(ダゾーン)』では、野球中継を始球式からヒーローインタビューまでを『スマホ片手』『無料で』見ることができます。

これさえあれば、野球中継を見れない寂しい時間にサヨナラできます♪

他の情報に邪魔されることなく、好きなだけ野球中継に没頭できるんです!

→DAZNで寂しい時間から解放されてみる!

 

DAZNのおすすめポイントは3つ!

・一ヶ月間も『無料』で11球団の試合が見れる!
・スマホで観れるから、帰宅中でも野球観戦できる!
・CM無し!始球式からゲームセットまで完全生中継!
月額料金は通常 1750円ですが、DAZNなら無料お試し期間が一ヶ月間もあり、期間中は無料で野球観戦を楽しめます!

しかも、登録に必要な時間は3分もあれば十分。

BSやCSに契約するよりも、圧倒的に早い&安く使えます!

一ヶ月『無料で』利用できますので、試合を始球式からヒーローインタビューまで見たい方!この機会にお早めにどうぞ!

スマホを片手に、野球まみれの時間を楽しみましょう♪

→DAZNで寂しい時間から解放されてみる!

スポンサーリンク
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました