この記事では、仰木彬さんとドラフト会議に関する内容をお伝えしています。

長年プロ野球の監督を務めた名将・仰木彬さん。

ドラフト会議にもかなりの回数されています。

その中でも印象に残っているシーンを私の独断と偏見でお伝え致します。

 

この記事をお読み頂くことで、

・仰木彬さんが参加したドラフト会議について

・ドラフト会議の歴史に残る「あの」シーン

・想像を越えた活躍を見せた教え子!

 

等について知ることができます。

野球犬

ぜひ最後までお付き合い下さい!

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仰木彬と『ドラフト』の思い出

名将・仰木彬さんは、通算14年の近鉄とオリックスの監督としてドラフト会議に14回も参加しており数々の名選手を指名してきましたのでご紹介します。

 

先ずは近鉄監督時代から見ていきましょう!

1988年のドラフト会議では、近鉄の守護神と言えば赤堀元之さんですが仰木彬さんは4位指名し入団にこぎつけました。

最優秀救援投手賞をプロ野球タイ記録となる5度獲得する活躍をしました。

 

1989年のドラフト会議では、当時最多の8球団競合の末に最後にくじを引いた仰木彬さんが当たりくじを引き当て、「近鉄・野茂英雄」が誕生しました。

活躍に関しては後述にて記載しますのでご覧ください。

 

翌年1990年のドラフト会議では、小池秀郎さんは8球団競合の末にロッテを入団拒否し2年後のドラフトで近鉄に1位指名され入団しました。

 

次にオリックス監督時代を見ていきましょう!

1996年のドラフト会議では、後にシーズン最多二塁打記録を樹立する谷佳知さんを指名しました。

仰木彬さんが見出したイチローさん・田口壮さんとの鉄壁の外野陣は当時の12球団随一でした。

 

1997年のドラフト会議では、当時西のドクターKと呼ばれエース兼4番として春の選抜はベスト8・夏は準優勝に導いた川口知哉さんを4球団競合の末に当たりくじを引き当て希望通りのオリックスへ入団しました。

 

1998年のドラフト会議では、後にシーズン最多暴投記録を樹立した新垣渚さんを指名しますが、「ホークス以外は進学」と決めており入団拒否されます。

 

1999年のドラフト会議では、2002年に当時日本人最高タイ記録の158㎞を記録する山口和男さんを仰木彬さんは1位指名します。

スピードはあるが制球難で故障もあり3年のみの活躍に留まりました。

 

2000年のドラフト会議では、内海哲也さんは祖父が巨人の野手だったこともあり巨人以外は拒否するとドラフト直前に表明していたが仰木彬さんは1位で強硬指名します。

仰木彬さんが直電話し入団に傾きかけたが社会人へと進み、後に巨人へ入団し最多勝・最多奪三振を獲得する活躍をします。

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仰木彬のドラフト一番の名シーンと言えば!

1988年のソウルオリンピックで銀メダル獲得に貢献し、名実共にアマチュアNo.1投手となり注目される中での1989年に行われたドラフト会議。

仰木彬さんは1位指名で野茂英雄さんを指名しますが、阪神タイガース・ロッテオリオンズ・ヤクルトスワローズ・横浜大洋ホエールズ・福岡ダイエーホークス・日本ハムファイターズ・オリックス・近鉄バファローズと史上最多の8球団から指名を受けました。

 

「残り物には福がある」とはいいますが、最後にくじを引いた仰木彬さんが当たりくじを引き当てることになります。

関西を本拠地としていたチームなので、仰木彬さんの「ヨッシャー」という声が聞こえてきそうな感じですね。

推定契約金は史上初の1億円台となり、契約時に投球フォームを変更しないという条件が盛り込まれていました。

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