イチローさんをはじめ、数多くの名選手を育てた仰木彬さん。

監督としての成績は申し分ないと思います。

そんな名称・仰木彬さんの現役時時代の成績はどうだったのでしょうか?

彼の残した成績を見ながら、現役時代のエピソードについても調べ見ました。

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仰木彬の成績(現役時代)

仰木彬さんがプロ野球選手として活躍したのは1954年~1967年までの14年間。

14年間の現役生活は、西鉄ライオンズ一筋でした。

現役時代に残した、主な通算成績は以下の通りです。

試合数:1328、打席:3974、安打:800、打率:.229、打点:326、本塁打:70、犠打:134

1960年に記録した15犠打はリーグ最高で、同年にはセカンドでベストナインにも選出されました。

現役時代の成績から見ると、仰木彬さんはチームの柱というより、いぶし銀といった立ち位置だったと言えると思います。

主役級の活躍をバンバン見せるとは言えないものの、チームの勝利の為には必要不可欠の存在・・・といった感じですかね?

 

続いて彼の現役時代を詳しくみてみましょう。

守備力がモノを言うセカンドというポジションでベストナインに選ばれるのですから、長年セカンド一筋で野球をやっていたのだろうなー・・・と思ったのですが、実は違いました。

仰木彬さんは元々ピッチャーをやっていたそうで、当然ながらピッチャーとしてプロ入りしました。

転機が訪れたのはプロ入り1年目の春季キャンプでのこと。

仰木彬さんがフリーバッティングで投球をしていた姿を見て、当時の三原監督はセカンドへコンバートするよう指示を出します。

この大胆なコンバートを成功させるため、仰木彬さんは以後のキャンプで徹底的に鍛えられ、名二塁手へと進化を遂げていきます。

 

この成果は早々に表れ出します。

1年目から当時レギュラーだった宮崎要選手からポジションを奪い取り、同年のリーグ優勝に貢献する活躍を見せました。

ルーキーイヤーこそ逃したものの、翌年の1955年には期待打席に到達。

打率は.235と目立った活躍とは言えませんが、それでもチームにとって必要不可欠な存在だったと言えます。

同年には1試合6安打も放つパリーグ記録を達成しました。

レギュラー定着後は西鉄ライオンズの黄金時代を支える存在であり続け、 1956年、1957年、1958年の3年連続日本一に大きく貢献。

※ただし日本シリーズでは不調の為活躍はできなかったそうです。

前述した通り、1960年にはベストナインにも選ばれ、1961年にはオールスターにも出場。

黒子に徹するような存在だったかもしれませんが、その活躍は多くの人に認められたと言えると思います。

1967年現役を引退することになりましたが、ここから本当の伝説が始まったと言っても過言ではありませんよね!

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プロ入り前のエピソード

時代を少し遡って、仰木彬さんがプロ入りする前を見てみましょう。

高校卒業を前にした仰木彬さんに目を付けていた球団は、西鉄ライオンズだけではありませんでした。

実は南海ホークスと中日ドラゴンズからもラブコールを受けていたそうです。

3つものプロの球団からお誘いを受けていたということは、仰木彬さんの評価は見る人が見れば高いものだったと言えそうですね。

 

3つの球団からラブコールを受けた中で、仰木彬さんが西鉄ライオンズを選んだ理由はなんだったのでしょうか?

普通に考えると『契約金が一番高かったから?』というのが一般的なところかもしれません。

ところが契約金について調べたところ、提示された金額はそれぞれ以下の通りでした。

・南海ホークス→100万円

・中日ドラゴンズ→100万円

・西鉄ライオンズ→60万円

何と、契約金は西鉄ライオンズが一番安かったということになりますね!

しかも南海ホークスと中日ドラゴンズの提示した金額より40%も安い・・・。

であるにもかかわらず、なぜ仰木彬さんな西鉄ライオンズに入団したのでしょうか?

 

理由は二つありました。

一つめは、もともと南海ホークスへの入団を希望していたこと。

そして二つ目は、当時南海ホークスの監督を務めていた監督の三原脩さんに直接ラブコールを受けたこと。

特に注目すべき点は二つ目の要因です。

三原脩さんは仰木彬さんの自宅に直接訪れて、肩をたたいて言いました。

『私に任せなさい!』

この三原脩さんの男気溢れる言動に、仰木彬さんは運命的なものを感じたようです。

三原脩さんの行動は功を奏し、見事に仰木彬さんのハートを射止めました。

もし監督さんが別の人であったとしたら、仰木彬さんは他の球団に入っていた可能性もあります。

そうだったとしたら、全く別の現役生活を送っていたということも十分にあり得る筈。

まさに運命的な出来事だったと言えますよね!

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グラウンドの外では結構…!

晩年も外見は派手だった仰木彬さんですが、現役時代から私生活は派手だったようです。

仰木彬さんといえば、知る人ぞ知る『遊び好き』

遊びの合間に野球をやっていた!という情報もありました。

遊び好きの他にも様々な伝説を残してるようですwww

しかしそんな遊び人・仰木彬に転機が訪れます。

それは恩師・三原監督の退任。

これを切っ掛けに心を入れ換えた仰木彬さんは、練習に没頭するようになりました。

・・・いやいや、プロ野球選手なんだから普通にやらないと!とツッコミたくはなりますけどね笑

その結果、ベストナインに選出されたり、オールスターに選出されるような凄い選手へと成長しました。

至極当たり前のことを言わせていただきますが、やはり練習って大事ですよね!

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まとめ

仰木彬さんの現役時代の成績やエピソードについてお伝え致しました。

多くの名選手を育てただけあって、現役時代もチームの勝利に貢献する活躍を見せていたようですね。

脇役的な活躍だったかもしれませんが、このときの経験が人材育成するに辺り役立っていたのかもしれません。

現役時代の彼からすると、将来的に『名将』と呼ばれる存在となることを想像できたでしょうか?

少なくとも、遊びに没頭していた時には予想だにできなかったと思います笑

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